純情セラヴィター 七水樹


  時間ほど無情なものは無い。少し気を抜いていると、いつの間にか締切が目の前まで迫っていることがよくある。ゆっくりと時間をかけて仕上げるべきものを、「何とかなるさ」という言葉で片付けて、面倒事として記憶から消しておく。そうして、満足なものができないまま終わってしまう。

だからこそ、“後悔”という言葉は生まれるのだろう。後で悔いても、時間は戻らない。すべて、自分のせいなのだから。

 

Kが自殺し、『先生』も自殺した。“私”は、『先生』の遺書を読んで急いで東京へ引き返した。しかしやはり遺書の通りとなってしまっていた。『先生』は既に近くの墓地に葬られ、『奥さん』は喪に服していた。私はとりあえず、『先生』の墓前に線香を添え、『奥さん』に喪中の挨拶をした。

『奥さん』はやはり察する力のある方だった。父が危篤だというのにわざわざ東京に引き返した“私”を訝しんだのだから。何故、自分の主人が死ぬのが分かっていたのか。何故、自殺した理由を理解したかのような口になっているのか。時代の変わり目に死んだ人は『先生』以外にも大勢いたそうだが、その人達は得てして過去に負い目を持った人間ばかりだったのだ。もしかして、『先生』は自分に何かを隠しているのではないか。『奥さん』は談笑しながら“私”が知っている秘密を引き出そうとした。

手紙の内容を話すかどうか、“私”は迷った。今話せば『先生』の約束を破ってしまう。しかし『先生』とKのことを話さなければ、『奥さん』をKの自殺も『先生』の自殺も知らぬまま一生苦しませることになる。『奥さん』と向かい合った状態のまま、何時間もの時が流れた。結局、『奥さん』の問いかけに負け、『先生』の遺書の事を話してしまった。

あまりにも長い遺書だったため、どのくらいの時間がかかったのだろうか。全ての事を話した時には既に夜も更けていた。“私”が遺書の内容を教えている間、終始『奥さん』は拳を固く握ったまま、話に耳を傾けていた。遺書の内容を明かしてしばらく沈黙が“私”と『奥さん』の間に流れたが、『奥さん』は“私”に一泊するよう勧めてくれた。私は気が重いまま『奥さん』にお礼を言い、眠れない一夜を過ごした。喉の奥から苦い何かが這い上がって何度か井戸に向かった“私”は、別の部屋から女のすすり泣く声を耳にした。

思った以上に長かった一夜が明け、日が出て間もない頃に、“私”は『奥さん』に礼を述べて実家に帰ることとなった。『奥さん』の目が赤くなっているのを見て、“私”は『先生』の家から一刻も早く離れるように電車に飛び乗った。

父親が逝ったのは、実家に帰って間もなくの事だった。

 

父親の葬儀を終え、四十九日が過ぎるまでの間、“私”は家に籠って悩んだ。果たして、『奥さん』に『先生』やKの事を話して良かったのだろうか。『先生』との約束を破る形になってしまったが、『先生』は『奥さん』は勘が鋭いことを知らなかったわけではなかっただろう。もしかしたら、Kのことも、何もかも知っていたのかもしれないのだ。そうだとしたら、わざわざ一介の学生なんかに遺書を送るはずもないのだから。

しかし、『奥さん』が急病を患って斃れたことを知った時は、流石に“私”も自分の心臓が止まってしまうではないかという衝撃に襲われた。幸い四十九日が過ぎた頃に伝えられたため、急いで東京に戻ることができたが、既にすべてが片付いた後だった。『奥さん』の遺骨は『先生』と同じ墓に葬られ、家は別の人間の手に渡っていた。『先生』も『奥さん』も親族はいなかったと生前に本人達から聞いていたし、二人に子供なんていないから、こうなることは『先生』が自殺するときに薄々気づいていた。それでも、やはり現実として受け入れるには少しの時間を必要とした。碌な支度もしないで東京に直行してきたから、墓参りの必需品は手元に無かった”私”は、葬式屋で線香や菊の花を買い、『先生』と『奥さん』が眠る墓で合掌をして、そのまま故郷に戻る電車に乗って帰った。その間の詳しい記憶は、まるでない。ただ、『何故』という言葉だけがワタシの心中で反芻していた。

果たして『奥さん』が死に至る病を患った原因は、『先生』の遺書を知った事なのか。それとも、Kの死から抱えていた謎が解けたことへの反動なのか、三人が死んだ今となっては定かではない。一つだけ言えることは、三人の死は“私”の心に消えない傷となって残っただけだった。

 

やがて、一人や二人の死などどうでもよいと言わんばかりの時代の波が日本を襲った。『先生』や『奥さん』、それにKの暮らしていた家も、“私”の実家もその波の余波で焼き尽くされた。“私”もまた、日本を襲った波に巻き込まれたが、“私”の家族も“私”自身も何とか大事に至らなかった。

荒れた波は、やがて収まり、日本があれる以前、否、それ以上のきらびやかな街を持つ世界に戻った。“私”の家も元に戻り、久しぶりに就いた仕事も安定し、家族も増えていった。

それでも、元に戻らないものもある。“私”は何度か『先生』達が住んでいた家のあった場所を訪れた。荒波によって吹き飛ばされた街も前とは違う風景になっていた。無論、『先生』達が住んでいた家もまた、すっかりなくなっていたのだが。

“私”は、本当にこれで良かったのかと心中に思うことが良くある。Kが死に、『先生』が死に、『奥さん』も死んだ。そして、この事を知る人間は今となっては“私”しかいない。“私”もまた、『先生』と同じように秘密を墓場まで持っていった方がいいのだろうか。それとも、『奥さん』に話したように誰かにこの事を伝えた方がいいのだろうか。一つの時代を歩んだ、一人の青年の生き様を。

 

Que Será, Será.そんな言葉が、一つの時代に現れた。なんでもスペイン語で「なるようになるさ」という意味だそうだ。しかし街の図書館でスペイン語の辞典を開いて調べてみれば、本当のスペイン語にはそんな文法は無いらしい。本当にどこから流れてきた言葉なのか、それでも、“私”にはどうでもよかった。なるようになる。どこか都合のいい言葉だ。

久しぶりに東京を訪れた“私”は、その街のあまりの変貌ぶりに辟易した。果たして、ここがかつて『先生』達が生きていた街であろうか。そして、その街で生きた『先生』達の生き様を伝えることは可能か。最早第三者となってしまった“私”には、あまりに重い問題だった。それでも、ケ・セラ・セラ。なるようにならなきゃいけないのだ。

 

“私”が『先生』達が生きていた家の跡地を去った時、三人の学生達とすれ違った。大学の定義が広がった現代、“私”の知っている大学ではなくなっていた。だからこそ、いま目の前を歩く学生達の話題も、“私”の知っている物ではないはずだ。

それでも、三人の学生達とすれ違った時、思わず彼らに振り向いてしまった。お嬢様風の少女が話に花を咲かせ、坊主の少年が少女の話を盛り上げる。その二人に挟まるように、どこか厭世的な雰囲気を纏う少年が二人の話にツッコミを入れては少年達にド突かれている。しばかれる毎に嫌そうな顔をする少年だったが、それでも二人の話に耳を傾けているようだった。

Que Será, Será…….なるようになる、ですか……。『先生』達が思い悩んだことを軽くさせる言葉が、ようやくこの世の中に生まれたような気がしますよ……」

“私”はなぜか口元に笑みを浮かべてしまう。その理由は分からなかったが、軽くなった足取りで駅へとう向かうのだった。

 

時間ほど無情なものは無い。少し気を抜いていると、他人の言葉に流されてしまう。自分の言いたい言葉を口にしようにも、全て他人の言葉で切り返されてしまう。そうしていくうちに万策尽きて、やがて自分の思いも消えてしまう。

だからこそ、新しい言葉は生み出されるのだろう。自分達の思いを伝える言葉が無いのであれば、新しい言葉を生み出すしかない。その言葉が果たして他人に伝わるかどうかは分からない。でも、少なくとも自分の思いを伝える術が一つ生まれたことになる。すべて、自分次第なのだから。