夢日記(カット版)   猫金魚屋萌萌



  僕は今から夢日記を書くことにする。
  誰にも見られるはずは無いから、突然書いても良かったのだけれど、一応そう言って書いてみる。もし十年後の自分が見ても分かるように。
  何故書くのか、その理由も書いておく。何の為に書いているのか忘れてしまうといけないから。
  最近、明晰夢と言う夢を僕は知った。明晰夢とは簡単に言うと自分の意思で夢をコントロールできる、という事らしい。僕自身もネットで調べただけなので、詳しい事は良く知らない。
  そしてこの夢にはメリットとデメリットがある。
  メリットは勿論、夢を自分の意思で操作できると言う点だ。使い方によっては理想の夢を見ることが出来る。
  デメリットは現実と夢の区別が付かなくなる。それは理想の夢を見ていると、つらい現実に戻るのが嫌になり、夢を現実と勘違いしてしまうと言う事らしい。最悪の場合、夢という幻想を求め、自殺してしまう事もあるらしい。
  それで、その明晰夢を見るための条件は、見た夢の内容を書き留めて置く事だと言う。それが夢日記と言う訳だ。
  どうやって書き留めるのかは自由で、それを見て、夢の内容が思い出せれば良いらしい。
  それを知った時、僕は少し興味が湧いて調べたけれど、それを書こうとは思いもしなかった。
  理想の夢、つまり幸せな夢はくじを引くみたいに偶然見るのが良いのであって、決して見ようと考えてみる物じゃないし、そんな事をして、現実を失いたくなかった。
  でも、ある時ふと気付いた。
  夢を自分の意思でコントロール出来るのならば、幸せな夢ではなく不幸な夢、いわゆる悪夢も見れるのではないかと。
  もう一度、ネットで明晰夢を見ている人の体験談を調べたりしてみたが、悪夢を見ようとした人と言うのはいなかった。まあ好き好んで地獄を見ようと言う人はいないだろう(自分が鞭で打たれる夢を見たと言う人がいたが、その人はマゾヒストだったので、それは幸せな夢と言う事にする)。
  僕が夢日記を書き始めたのは、その悪夢を見るためなのだけれど(虐められるのが好きとか、残酷な世界が好きとかそう言うわけではない。そこのところは分かって欲しい、後の自分に)。
  まあ、僕が見たい悪夢と言うのは、現実より少し不幸な、いわゆる『ちょっとした悪夢』だ。もしかしたら悪夢とすらいえないかもしれない。
  それを見るメリットと言うのは、実際に見てみないと本当の所は分からないのだけれど、少し現実が楽しくなると思う。
  幸せな夢から不幸な現実を見ると嫌になるのならその逆、不幸な夢から幸せな現実を見ると嬉しくなるのだろうか、と僕は考えたのだ。
  でも毎日悪夢を見ていると、寝る事が恐怖になってしまうだろうから、現実が悲しい時(例えばテストの点が思わしくない時とか、友達と喧嘩した時とか)に見る事にする。
  まあ、どうなるかは見当がつかない、もし予想と違う結果になったら、その時はこのノートを捨てればいい。
  と言うわけで夢の内容を書くことにする。でも毎日夢を見られる訳でもないし、見ても起きた時覚えていない時もあるのだから、一週間に、二度か三度、良くて四度程になると思う。

  六月四日
  雨の日だった。そして僕ではなく私、要するに自分は女性になっていた。
  自分の願望とは思えないが、まあ夢なのだから何でもありなのだろう。
  理由は分からなかったが私は怒っていた。激怒と言うほどの物でもなく、苛ついている程度だった。
  私は下校している途中で、傘を差して、校門を出る所だった。
  その時丁度、後ろから自分の名前を呼ばれ、振り返った。呼ばれた時の名前は自分の名前ではなく良く思い出せない。最初にいい、と言う名がついていたような気がする。
  どうやら、彼は私の片思いの相手であるらしく(もしかしたら両思いで有るのかも知れなかったがそこら辺は分からない)、喜びの感情が芽生え、それと共に何故か憎悪の感情も湧いてくる。その憎悪は最初に怒っていた事が関係しているらしかった。
  彼が話し掛けて来る。詳しくは思い出せなかったが、傘を忘れたので一緒に入れて欲しいと言うことらしかった。
  私は興味が無さそうに、勿論心の中では大喜びで、彼を入れてあげた。
  私より彼は背が高かったので、傘を持っている腕を肩まであがる形になってしまった。
  彼はそのことに気付き、傘を自分が持とうか、と申し出たが私はそれを断わった。
  歩きながら、私と彼は言葉を交わしていた。
  そして、そこに至るまでの経緯は分からなかったが、彼が私に告白しようとする。
  そこで私は慌てて彼の両手で口を抑える。傘が地面に落ち、二人に雨が降りかかる。
  どうやら、私はもっとムードが欲しいらしく、そんな行動に出たらしかった。
  そこで私、いや違う、僕は目覚めた。

  六月九日
  見た記憶はあるのだけれど、思い出せない。

  六月十二日
  影絵の女の子が林檎をかじろうとしていた事しか思い出せない。

  六月十四日
  夢は例えて言うなら、映像と写真の中間の様な物だと思う。
  映像と言うには不明瞭な部分が多すぎるし、写真と言うにはいささか流動的過ぎる。
  けれども常に中間って訳ではなくて、見る夢によってどちらかに傾いたりもする。
  生々しく鮮明な夢もあれば、目覚めてからワンカットしか思い出せない夢もある。
  また、筋道がはっきりとしている夢もあれば、支離滅裂な夢もある。
  今日の夢はその支離滅裂で、鮮明な夢だった。
  僕は電車の中に居た。車両の丁度真ん中の席に座っていた。
  僕以外にもその車両には10人ぐらいの人が座っていた。
  窓の外の様子からするに地下鉄を走っているだと思う。
  何処へ向かっているのか、そもそも今何処を走っているのかも分からなかった。
  現実だとアナウンスがあるのだけれど、この夢では一切無かった。それどころか電車が走っている音すらも聞こえなかった。完全に無音だった。もしくは僕の聴覚が無くなっているかも知れなかったけれど。
  電車が走っているのは振動で分かる。逆に言うと振動以外に電車が走っている事を証明する手立ては無かった。
  誰も何も喋らず、それどころか身じろぎもしなかった。でも死んでいる訳では無さそうだった。
  僕は退屈なので、車内に掛かっている広告を見ようとする。
  けれど無理だった。広告は確かにそこに掛かっていた、だけど僕がそれを見ても。何も感じることが出来ないのだ。
  上手く表現する事が難しい。その広告はちゃんと文字や写真が載って筈なのだ。けれども幾ら見つめても、イメージが全く頭の中に入り込んでこない。
  仕方なく、僕は広告を見ることを諦める。窓の外の真っ暗な空間(果たして空間なのだろうか、それは)を見つめ、ぼんやりと何かを考える事にする。
  何かを考えるつもりだったけれど、何も思いつかなかったので、結局何も考えていなかった。
  しばらく立った時、不意に車両の端のドアが開いた、多分僕から見て右手側だった筈だ、そのドアは音を一切立てず、するするとまるで縁にロウを塗った障子のように開いた。
  僕自身は前を見ていた筈だけれど、何故かそれが分かった。
  ドアが開いたにもかかわらず、電車はまだ動いていた。もしくは動いた振りをしているのかもしれない。
  するとその空いたドアに一番近い人が立ち上がり、ドアの方へ歩いていった。
  どうやら降りようとしている様だ。電車が動いているのに危ない、と普通の僕なら思っただろう。けれどもその時は何の感情も抱かなかった。
  彼だか、彼女だか分からないけれど、その人はドアの向こうの暗闇に向かって足を踏み出した。
  ゆっくりと、太陽が地平線に溶けて行くように、その人は暗闇に溶けて消えて行った。
  消えていったあとしばらくドアは開いていたけれど、やがて思い出したようにするすると閉まった。
  また少しすると、今度は端から二番目に近いドアが開く。そしてまたドアの近くの人が立ち、ドアから消えて行った。
  段々と、端から真ん中の僕の方へドアが開き、人が降りて、いや消えると言った方が正しいのかもしれない、ともかくこの電車から去っていく。
  五回目だろうか、とうとう僕に一番近いドアが開く。
  席を立ってドアに向かう。空いたドアの前で立ち止まり、手を伸ばしてみる。
  風は感じなかった。その代り、暖かく、そして冷たい(表現がおかしいけれど、本当にそんな感じがしたのだ)感触に包まれる。悪くない心地だった。
  手を戻し、暗闇に向かって足を踏み出す。不思議と恐怖は感じなかった。
  気付いたら、僕は沼の上にいた。沼と言ってもどろどろした底なし沼と言う感じではではなく、野鳥とか魚がすんでいて、表面上は綺麗な水で覆われている感じだ。
  僕自身は小さい橋(足を濡らさずに観光客が見て回れるように作ってある、そんな橋だ)の上に立っていた。
  僕の腰の高さまでススキがたくさん生えている。もっとも、それが正確な意味でのススキかどうかは分からなかった。僕は植物に詳しくない。
  空には無数の、無数って言うほどでもなかった、たくさんの蛍が舞っていた。
  源氏とか、平家とか言うのだろうか。
  その光は決して蛍光灯や電球の様に何かを照らす為に光っているのではなかった。純粋に光ること、ただそれだけを求め、舞っている様だった。
  蛍はそれぞれが不規則に飛び回ったり、ススキの穂に止まって羽を休めていたりした。
  その光景は幻想的だけれど、何処か現実味を帯びていた。
  一匹の蛍が僕の方に寄ってきた。寄って来たというよりは、唯偶然こちらに迷い込んで来ただけなのだろう。
  僕は掌を上にして、その蛍の方へ差し伸べてみた。
  するとその蛍は羽を休めようとするかの様に僕の中指の指先に止まった。
  僕はゆっくりと伸ばした手を胸の前に来る様に戻した。蛍は逃げなかった。むしろ、掌の真ん中に向かって這って、いや歩いてきた。
  蛍はゆっくりと瞬いていた。
  そこには、生そのものの光が宿っていた。
  蛍は羽を広げ飛んだ。僕の元から去り、群れの中に戻っていくのかと思ったが、そうはならなかった。
  そのまま僕の目線の高さまで飛び上がり、そこで静止する。
  僕はそのまま蛍を見続ける。
  すると突然、生の光が死の光に変わる。
  蛍は、人魂に変わっていた。
  周りの風景も水辺から、霊園に変わっていた。
  右手には上に長い日本の墓が並んでいた、それぞれの墓背後には卒塔婆といったか、木の棒が立てかけてあり、前には線香とみかんが供えられていた。
  左手には横に長い外国の墓(アメリカ辺りの物だと思う、多分)があり、こちらの墓の前には花束が添えてあった。
  人魂は僕の眼の前で少し上下しながら浮かんでいた。
  今度の光は生を自らの一部としながらまた生の一部でもある存在、死による光だった。
  人魂はしばらく僕の前に浮かんだ後、右にある墓に漂っていった。
  僕はその人魂を怖いとは思わなかった。いやたとえ人の形だったとしても、多分恐れを抱かないだろう。その理由は僕があんまり死を恐怖の対象と見ていない事に起因するのだけれど、此処に書くのは止めておく。
  良く見ると、全ての墓の上に人魂が浮かんでいた。一つの墓の上に一個、いや一人ずつと言うわけではなく、二人や三人浮かんでいる所もあった。
  その光景はさっきの蛍と違って、幻想的ではあったけれど、現実味は感じられない。
  それぞれの人魂には少しずつ特徴があった。大きい者や小さい者、色が違う者がある。
  僕は最初に会った人魂がいる墓に近づいた。
  その人魂は普通の、つまり僕のイメージ通りの人魂だった。
  それは球体に楽譜の八分休符のような尻尾が付いていて、手に収めるには少しばかり大きい。白と藍を八対二の割合で混ぜた色をしている。
  生前は女性だったのか男性だったのか分からなかったけれど、ともかく僕はその人魂を彼と呼ぶ事にする。
  彼は自分の墓の(もしくは他人の墓かもしれない)周りをくるくると廻っていた。高さは丁度僕の肩の辺りだった。
  やあ、と僕は声をかけてみる。彼は返事こそしないものの、廻るのを止め、墓石の胴の辺りで静止する。
  僕はしゃがんで、彼と目線を合わせる。もっとも、彼に目は無かったけれど。
  墓には文字が書いてあったが、電車の広告と同じで読むことが出来なかった。
  彼は少し上下しながらそこに静止していた。僕の次の言葉を待っているみたいだ。
  でも、僕は声をかけたものの、何を話すか考えていなかった。そもそも彼と共通する話題があるのだろうか。
  少し目線を下にやると、供えられた線香とミカンが視界に入った。
  これ食べていいかな、と僕はミカンを指差し、彼に尋ねてみる。
  彼は大きく上下に動いた。僕はそれをはい、の合図と受け取り、ミカンを手に取った。
  外の皮は水分が抜けて、少し硬くなっていた。しゃがんだ状態ではいささか辛いので、地面に腰を降ろす。あぐらをかこうと思ったが、マナーを考え、正座をする事にした。
  ミカンの上下をひっくり返し、真ん中に爪を立てて皮をめくり、そこから外に向かって丁寧に皮を剥いていった。
  全部剥き終わったところで中身を丁度半分に分け、その半分を広げた皮の上に置き線香の隣に戻す。
  残った半分から一つを取り、口の中に放り込む。
  彼には悪いが、正直な所、少し酸味が強く、思ったより美味しくは無かった。
  彼が僕の手元に来る。目は無い筈だったが(僕に見えないだけで本当はあるのかもしれない)ミカンに視線を感じた。
  ひょっとして彼もミカンを食べたいのかもしれない。それなら僕は彼に食べさせてあげたかった。でも、どうやって?
  彼は既に死に(存在していると言う点ではまだ生きている、と言えなくも無い)、食べる口もないし、それを消化できる器官も無かった。要するに身体が無いのだ。
  でも、僕は試しにミカンの袋を一つとって彼の丸い球体の部分に近づけてみた。
  彼はやっぱりミカンを食べたいようで、自ら、その袋に近づいて来た。
  けれども残念な事に、そこで僕の目が覚めてしまった。
  彼はミカンを食べる事が出来たのだろうか、それが少し気がかりだった。

  六月十六日
  夢を見て、起きた時も覚えていた。
  でも朝書く暇が無く、学校から帰って書こうとしたら、ほとんど覚えていなかった。
  一応一つのシーンだけ覚えていたので書く。
  僕は中華料理屋でカレーを食べていた。

  六月二十日
  影絵の女の子が林檎を放り投げ、それを上空にいる箒にまたがった女の子がキャッチする。それだけだ。

  七月十五日
  一ヶ月振りにこのノートを開いた。
  このひと月の間、夢を見なかったわけでは無いのだけれど、現実の方が色々と忙しくて、書く暇が無かったのだ。
  そもそも書く必要も無かった。
  僕は現実が不幸な時に更に不幸な夢を見ようと夢日記を始めたのであって、現実が幸福に向かっている時はそんな夢を見る必要がないのだ。
  スクランブル交差点があった。
  渋谷の109辺りの交差点と言ったらたぶんそれに近いだろう。
  無数の、前の蛍と違って本当に無数の人々がひしめきあい、反対側の歩道に向かって歩いていた。
  僕はと言うと、喫茶店の中に居た。丁度その交差点を正面から斜めに見下ろす事が出来る窓際の席に座っていた。
  眼の前のテーブルには、一杯のカフェオレが置いてある。僕はときたまそれを口に持って行きながら、交差点を歩いていく人々を眺めていた。
  僕の眺めている場所は、一人一人の顔を眺めるには遠すぎたし、かといって交差点全体が視界に入る位置でも無かった。だから僕は全体の三分の一ぐらいを眺めつつ、残りの三分の二へ視線を移動していった。
(中略)
  書き忘れていたことだけれど、夢の中では僕からは見える筈の無い場所が見えることがある。
  それは一人称視点で書かれているのに突然、三人称視点になる小説の様に。現実では決して起こる事の無い、夢特有の出来事だ。
  でもそれは、僕の思い通りに見えるなんて物ではなく、ある時突然見えるものだった。
  女性といったが、それは僕が髪型や服装から判断しただけで、本当の所は分からなかった。そのような格好をした男性かも知れないし、もしくはどっちでもあるのかもしれない。でもそれは僕に余り関係の無い事だ。とにかく彼女と言うことにする。
  彼女は一定の速度で歩いていた。僕はそれに合わせて双眼鏡を動かす。彼女は歩道に着き、そのまま少し歩いたところで、方向転換をして、今来た道を戻って行く。
  振り向いた事で僕は彼女の顔を見ることが出来た。それはやはり、女性に見えた。
  一応、美人と言っても差し支えないほどの顔立ちをしていた。
  とそこで目が覚めてしまった。

  七月二十一日
  また影絵の夢だった。箒に乗っている女の子が芯だけになった林檎を捨て、その林檎の芯は、一人の本を抱えた女の子に変わる。