Verfarben in Welt   冬月由貴



 世界は輝きで満ちている。見渡せば色がきらめき、光が弾け、目を閉じれば音が跳ね回る。いつだって僕を包む世界は違う顔をして、そのくせどれもこれもが鮮やかで。どうやったってこの眩しさは消せないから、僕はこの美しい世界が大嫌いだ。


「逆じゃない?」
 そう言うと日向は、机に頬杖をつきながら首を傾げる、という器用な芸当をやってみせた。放課後、部活動時間までのわずかな隙間。
「大嫌いな世界ってふつう、醜くて、汚いもんじゃないの?」
 それは、勝者の理屈だ。自らが輝く、美しいものだけに許された傲慢だ。僕は違う。僕は、モノクロだ。色鮮やかな世界の中にあって、モノクロで空っぽの人間は浮いてしまうから、美しすぎる世界を憎む。浮き彫りになった自らのつまらなさに気づき、かと言って詰める中身も、飾り付ける色もなければ、かわいい我が身の薄さを際立たせる世界に文句を垂れ流すより他ないのだ。そもそも、自分をどうこうできるくらいなら、こんなにも僕はかすんで見えないだろう、なんて。
「日向はわかってないなぁ……」
 でも僕に言えるのはこれだけだ。サッカー部のキャプテンなんて花形の日向には決してわからないだろうから。多くの場合、光りを放っている本人は自分の、世界の輝きに気づかない。それは、彼らが世界と同化しているからだ。周りの光に馴染んでいるから、自分自身の彩りに目が留まらない。なんて贅沢でもったいないことだろうか。そしてそんな人間が言う『みんな同じだろ?』が、一番残酷なんだ。『ミンナチガッテ、ミンナイイ』なんて呪文は、みんなと違うなにかを持つ者だけに作用する。誰しもが持っているものしか持っていない人間には、その魔法は意味をなさない。だから、日向には、なにも言わない。言えない。
 グラウンドへ向かう日向と別れ、僕も帰宅部の活動に入った。いつもと同じ、でも決して飽きることのできない帰路を辿る。暮れかかった空の色に目を細めたり、風の少し湿った匂いから週末予報の長雨を思い出したりして歩く道は、昨日の帰りとも今朝の通学路とも違った輝きがあって、相変わらず僕を悩ませた。どうしてこんなにも、五感にしきりと語りかけるのだろうか。光が強ければ強いほど、影は濃くなると言うのに。
「でもまあ、こんなもんかな、僕のセイシュンは」
 わかってる。呟いてなにかが変わるのは、物語の中だけだ。しかもそれは主人公にだけ許された特権で、モブキャラにとっては死亡フラグにしかなりえない。その死亡フラグですら僕には立たないし、そんな幻想に頼ろうとした段階で手に入るものは錆びきってしまう。結局は自分を変えていかないといけないんだって、誰もが言うのだろうが、そう主張する世界に溢れているのは輝いているものばかりだ。その中で自分を変えるなんて、どうすればいい? 変えたことのない、変える必要もないヒトたちに見劣りしないほど、白黒から昇華できるわけがない。そもそも変えろと言うヒトたちに方法を尋ねたって、答えを持ってやしないのだ。だから溢れかえった光たちは、モノクロを塗りつぶして夢を見せる。本当になんの色彩もない者を、そこに沈め、さも世界に馴染んでいるかのように幻惑し、その上に立って自らの色を引き立てる。
 別に、今の自分が特別落ちぶれているわけじゃない。マイナス方向にだって僕は特別じゃないんだ。平々凡々、ありきたり、そんな言葉だけが良く似合って、かといって全てをド平均に収めているわけでもなく、あぁ、そこがまた特徴の欠如でもあり。夢に溺れることもできない上に、世界に選ばれなかった段階で僕の『特別な存在』コースは詰みなんだって、それがわからないほどバカじゃない。でも自分を達観できるほど賢くも、冷酷でもなく。それが、その中途半端さが、僕なんだ。
 冬の初めともなれば、たかだか十数分の帰り道とはいえど体は冷えてくる。人の多い東京は、春夏は暑苦しいくせに、秋冬に温かいということはなく、『都会は冷たいね』なんて田舎の人が言うのを、単に人情の話だけではなく感じてしまう。どちらかと言えば、『冷たい』のではなく『冷めている』のだろうけど、とか、この考えがすでに冷めきっていると言われるのだろうか。せめて冷えた指先を温めようと、コンビニでホットフードを物色する。店員だって僕にはないなにかを持っている。それは華やぐ笑顔だったり、おつりを返すときの気遣いだったり。それが後天的なものだったとしても、後天的にでも身に着ける術を持たない僕にはやはり眩しかった。
 出際に雑誌コーナーを一瞥すると、光の塊、アイドルたちがあちこちの表紙を飾り立て、全力投球で後悔を投げ込んできて、
「仕方ないさ、彼らは持っているヒトたちなんだから」
 なんて、そんな諦観の作り方だけが上手くなって、余計に自分の空虚を引き立てた。
 買った肉まんを頬張りながら都会を歩く。じんわり体が温まると、なぜかまっすぐ帰宅するのがばからしくなり、安さの殿堂でも冷やかそうと立ち寄ると、そこはいつもと勝手が違っていた。
 そこに掲げられた看板には、名前を聞いたこともない女性アイドルグループの専用劇場がオープンする旨が記されていた。看板に添えられた何人かの写真を見る限りでは、特別かわいい子が多いとは思えなかったが、彼女たちにはなにかがあった。僕みたいな凡人とは違う、なにか。確信する。彼女たちは、選ばれた側のヒトたちだ。
「私たちの初公演なんです! よかったら見てください!」
 不意に背後からかけられた声に慌てて振り返ると、僕とさほど歳が変わらないだろう少女。グッと詰め寄られて後ずさり、気づく。
 ―――この子は、違う
 僕と同じだ。なにも持っていない。そこそこに顔がよく、それなりに声がいいのはわかる。だがきっとそれだけだ。ダンスも歌唱力も、ずば抜けたものではないに違いない。失礼なことを言っているが、わかるのだ。モノクロにはモノクロの匂いがある。拭いきれない平凡の神が共鳴するようにざわついて、同じ世界が見えていることがわかる。それなのにあちら側にいるということは、まだ夢を見ている子、なのだろう。
 ふと、興味がわいた。この凡庸な少女が舞台でどんな顔をして歌うのか、夢の舞台でどう舞うのか。ささやかな興味と、どこか失敗を望んでいる継母のように意地の悪い気持ちとが相まって、僕は劇場へと続く階段を上った。


 思った通り、彼女のダンスは普通だった。歌もいたって平凡だった。それでも、それなのに、ステージを駆け回る少女は、他の誰よりも眩しかった。曲が始まった途端、きらめくステージライトも、チームメイトの輝きも、彼女を彩る装置へと切り替わる。舞台から僕らを見回す少女の笑顔は誰よりも美しかった。もっとかわいい子も、もっと歌の上手い子も、まるで敵わない。この空間の太陽は彼女だ。感じた匂いが間違っていた? いや、今だって彼女を特別な存在だとは思わない。だが、魅せられているのもまぎれもない事実で僕は戸惑う。
「みなさんも楽しんでますかーっ!」
 曲の合間に投げかけられた叫び。それで、全てが解けた。彼女は、楽しんでいる。このステージをだけじゃない。この世界の全てを、楽しんでいるのだ。素晴らしい世界が大好きだって、その全身全霊が叫んでいる。ただそれだけのことで、少女と世界の彩りは共鳴し、彼女をこんなにも輝かせている。
「ちくしょう……」
 涙が、落ちた。世界を憎んでしまうことにではない。気づかされてしまったからだ、僕もこの世界を大好きなんだと。嫌いになれるわけがないじゃないか。だってこの世界は、他のなににも代えられず美しいのだもの。本当に僕が嫌いなのは、僕自身なんだ。なにも持たず、手に入れる努力もせず、そのくせ周りに嫉妬する自分が、そしてなにより、この美しい世界を嫌いだと言い放つ自分が、大嫌いなんだ。でも、僕が嫌ってしまった僕を誰が愛してくれる? ただでさえモノクロでつまらない僕を、他の誰が? だから僕自身が嫌いになってはいけないんだと、僕は僕を愛さなきゃいけないんだと、そんなくだらない自己愛を捏造して、自分を誤魔化した。努力しても変われないかもしれない、そんな現実から目を逸らしてきた。自分を守るのに必死で、言いわけがましくて、その自分が一番大嫌いで。情けなくて、悔しくて、みっともないくらい僕は泣いた。


 劇場を出ると、冬の夜風が身を切った。暮れきった闇の中に店々のライトが乱反射、やはり世界は美しい。ちらりと視線をやった右手は当然空っぽで、相変わらず僕はつまらない人間だ。だから、これからだ。空っぽの手には好きなものをつかめる。与えられたものでいっぱいの両手よりも、こっちのほうがずっといい。ちょっとだけ自分に見栄を張って、僕は空へと手を伸ばした。