魂喰―たまぐひ―   葛葉



 冬至。それは、一年で最も夜が長い日。
 朔夜。それは、月のない夜。
 冬至が朔夜を迎えたとき、陽の光にかわって世界を覆うは深い闇。
 そこに息づくモノがいる。
 長い長い夜の日に、誰にも知られず、静かな狂宴が再び開かれる――。

 さて、さて。
 君に警告してあげよう。
 冬至と重なってしまった朔の日。この日だけは夜を迎えた外に出てはいけないよ。
 もし、外で夜を迎えてしまったなら、息を殺してじっとしてるんだ。決して、やつらに君の存在を悟られないように。
 さもないと、魂魄の半分、魂を喰われてしまう。
 そう、彼のように……。


『――、――‼』
「ぎゃはははは、お前バカだろっ!」
 バラエティ番組に馬鹿笑いしながら突っ込む友人を尻目に、壁にかけられた時計を確認する。深夜一時過ぎ。もうバスも電車もない。
(そろそろ帰るか……)
「なぁ、俺もう帰るわ」
 テレビに夢中な様子だったが、無言で帰るのも悪いと思い、声をかけた。
「はぁ? 今から?」
 こっちを向いた友人は怪訝な顔をしている。
「泊まれよ。終電もとっくに過ぎただろ」
「いや、一駅だし、歩けない距離じゃないし、帰るよ」
 危ないから、と止めてくる友人におやすみ、と別れを告げて外に出た。
「ぅはぁ、寒っ!」
 ついさっきまで暖かい部屋にいたせいか、寒さが身に沁みる。
(ま、歩いてりゃ温まるだろ)
 身体を震わせながら帰路につく。五分も歩けば震えが治まってきた。
 上を見れば、冬の澄んだ空に星が瞬いている。濃紺よりも暗く、しかし黒とは違う色をした夜空に、淡く、または明るく光る星々は、実によく映える。
「おー、今日は星がすげぇな……」
 はー、と息を吐けば、それは白い靄となって消えていった。
 星がいつもよりもくっきりと見える理由を思案すれば、月がないことに気がついた。
「あぁ、新月か」
 常ならば夜の空に一番の存在感を誇るそれが、姿を消す日。
(ふぅん。星は映えるが、俺的には月がある方が好きだなぁ……)
 ぼーっ、と空を眺めながら我が家を目指す。帰ったらシャワーを浴びて、暖房の効いた部屋でゆっくり寝たい。
 ふぁあ、と欠伸をしたとたん、ゾク、と背中を冷たいものが走った。
(……?)
 辺りを見わたすが、特に変わったものはない。街灯が規則的に並び、人気のない交差点では信号機が黄色いランプで点滅している。
 気のせいかと前を向こうとしたが、違和感を覚えて踏み止まる。一体何がおかしいのか自分でもわからなかったが、……嫌な予感がする。
 ドクドクと何かを訴えるように鳴る鼓動をなだめながら、じっと目を凝らす。
 ……そして、ついに違和感の正体を捉えたとき、身体中を悪寒が駆けめぐり、頭の中で警鐘が鳴り響いた。
 ――灯りが消えていくのだ。規則正しく立ち並ぶ街灯。夜の世界を人工的に煌煌と照らすそれらが、奥の、自分よりもずっと向こうの方から、ひとつ、またひとつ、と次々に消えている。
 闇が、世界を呑み込んでいく。
「……は?」
 思わず、声が口を衝いて漏れたときだった。
 まるで何かがそれを聞き咎めたかのように、街灯の消える速度が急に上がった。
 パッ、パッ、パッ、パッ、
「――っ⁉」
 こっちに来る、訳もわからずそう思った瞬間、反射的に身をひるがえして走り出していた。
 心臓がこれ以上ないほど早鐘を打ち、異常な耳鳴りは耳をつんざくかのようだ。
(一体何なんだよ⁉)
 脚がガクガクと震え、縺れて転びそうになる。だが、ここで止まればどうなるかわからない。
 底の見えない恐怖が、震える身体を突き動かしていた。
(どこかに隠れないと……!)
 このまま真っ直ぐ走り続けても、いつか追いつかれることは目に見えている。
(っ! あれなら……)
 見つけたのは、バスの停留所。大型バスが何台も連なって駐車してあるそこならば、身を潜めることができる。
 急いで門をくぐり、適当なバスの下に潜り込む。
 わずかな視界から外の様子を探り、息を殺してじっと固まる。
 隠れてからいくらも経たないうちに、目の前の街灯がふっと灯りを消した。
 辺りに落ちる闇と静寂。自分の存在が浮き彫りにされるようで、気が狂いそうになるのを堪え、ぎゅっと目を閉じる。

 ――五分だったのか、それとも一時間だったのか。しばらくすると、街灯に再び灯りが戻った。
 念のため辺りを可能な限り見わたすが、異常はない。
(――助かった……)
 バスの下から這い出て、ゆるゆると安堵の息を吐く。
 とにかく、早く家に帰ろう。また何かあるかもしれないし、あってもこんな夜中じゃ助けてくれる人もいない。
 足早に停留所を出ようとした身体が突然、ぴたり、と止まる。
 目の前は明るい街灯に照らされた道。
 ……後ろは?
 固まった背中をツー、と冷たいものが滑り落ちた。

(――ウ シ ロ ニ ナ ニ カ ガ イ ル)

 理屈じゃ説明できない、本能が、そう告げていた。
 ぎし、ぎし、と壊れかけの絡繰り人形のようにゆっくりと後ろを振り返った。
 そこにいたのは、昏い、昏い――


 友人が死んだ。……いや、実際には死んでない――医学的には。
 あの日、もう時間も遅いから泊まれと言う俺を断わり、彼は暗い夜道の中、自宅へと帰って行った。
 そして、翌朝。俺は彼が病院へ運ばれたと聞いた。朝、バスの停留所で意識を失った状態で職員に発見されたらしい。外傷はなし。じきに目を覚ますだろうと医者も言っていたし、俺たちもそう思っていた。
 それから一か月ほど経って、彼は目を覚ました。……だけど、それだけ。確かに目を覚ましはした。それなのに、意識というか、心が戻らない。話すことも、食べることもしない。何を話しかけても、何を見せても、彼の瞳は感情を映さない。誰がどう見ても異常なのに、身体にも脳にもおかしいところはないと医者は言う。脳死の状態に似ているらしいが、脳は正常なのでそれとは違う。思考、感情は動かないが、身体だけは生きている。とは言っても、延命治療を止めてしまえばすぐに死ぬことになる。
 彼が目を覚ましてから、さらに数年が過ぎた。今でも俺たちは、本当の意味で彼が生き返ることを祈るだけしかできないでいる。


 太陽の加護も、月の加護も受けない長い、長い闇夜。
 そこに息づくモノがいる。
 やつらは狂喜する。
 煩わしい神の力が及ばない世界に。
 己の糧となる、美味い魂をもつ人間に……。