死都   丘一計



 壊さないと。
 お父さんを、早く、壊さないと。
 私は思案する。どうしたら、効率よく破壊できるのか。その方法を。
 やはり、切り刻むべきか……。焼く……のは、ばらしてからでもいいだろう。ノコギリは……確か庭の倉庫に押し込まれている。しかし、私の力で遂行できるだろうか。協力者が必要だ。
「どうか、したのか?」
 お父さんが怪訝そうに尋ねる。片手に持った缶ビールが、休日の夜を満喫するサラリーマン、という極めてステレオタイプな存在を私の前に演出する。
「ううん。何でも、ないよ」
「そうか」
 お父さんは私との会話で中断されたテレビ番組の視聴を再開する。私もお父さんの効率的破壊に再び思考を浸す。
「高校は、どうだ。最近は」
「ぼちぼちですわ」
「なんだそりゃ。オッサンみたいに」お父さんは少し口角を上げた。
「オッサンはお父さんでしょ」
「ひどいなあ」
 お父さんの着ているシャツの胸元から、紫色の痣が覗く。知ってしまった以上、引き返せない。
「そういえばさ、あれ貸してよ」考えろ。
「ん。何だ?」
 コレを。
「ノコギリ、貸してよ」破壊する方法を。
 
 多香子、俺はお前を心から愛している。この行為は徹頭徹尾、俺の愛に起因するものだ。だからきっと後悔はしない。むしろ、今の状態を維持し続けることこそが、俺の後悔の萌芽となり、悔悛を妨げるだろう。
                          「どうかしたの?」
 極めて平凡な、下校途中の風景。この中に異質が混在していることを知るのは、俺だけだろう。
 俺の隣を歩行する俺の恋人を模した人形。極めて精巧な肉人形。それは姿かたち、癖、行動、体臭、多香子という人間をほぼ再現している。彼女は事故死したが、幸い外傷はほぼ無く、死体をそのまま使用できたという。ただ一点、外見的な差異はその華奢な首筋に紫斑があることだ。それは作成者の呪い兼、作品のひとつであることの証明。俺はこの印が気に入らないのだ。所有という甘美な事実が、俺以外の人間の背後で嘲笑っている。いや、多香子の所有者は、俺なのだ。金を払ったのは多香子の家族だが。俺は彼女を破壊してもいい。彼女は物なのだから。俺は多香子の恋人なのだから。
「何でもないよ」
「空返事は最も他人の気分を損ねる行為だと思うんだよね」
「ごめん」
 他人。俺と多香子は、他人。そうではない。多香子は死に、俺という存在と完全に溶け合った。これは肉人形に過ぎない。まがい物。これの言葉に惑わされるな。これを使った射精と、多香子を思って行う自慰。後者こそが真の性交なのだ。醜い紫斑を持ったグール。決意した。俺はお前を所有という権限のもと肉塊にする。
「なあ。明日、夜、会えないか」
 それは表情筋を驚愕の表情に変化させて俺を見上げた。その際に陰る薄茶色の虹彩、頬にかかる髪、僅かに開かれた唇の朱鷺色と瞬間ちらつく歯の白さのコントラスト。そういった諸要素は完璧な角度計算の結果として多香子の持っていた美しさを再現し、俺の心に揺さぶりをかけてくる。破壊を妨げる。
 暫くの沈黙。
「ねえ、私のこと、どう思ってる?」
 無論、肉人形である。恋人を模したダッチワイフである。
「……答えが限定される問だね。それは」
「好き?」
「ああ」俺は心中で嘔吐した。しかし意に反して男根は屹立の兆候を見せる。
「私も……明日の夜、手伝ってほしいことがあるの」
 明日の夜。俺は多香子を解体する。解体。解体……。素晴らしい響きだ。解体。その白く象牙のような四肢を。解体。小さな頭を。解体。生ける者に対しては決して行えない禁忌。ああ解体。
「内容は?」
「力仕事なんだけど」
「程度によるなあ」大げさに身をそらし、制服のポケットに手を突っ込んだ。甚だしい膨張を手で制する必要があった。
「ノコギリを使ってね、切ってほしいモノがあって……」
 俺は射精した。明日の夜、俺はお前を解体する。

 それが正しかったのか、間違っていたのか。もはやわからない。ただ、許せなかった。認めることができなかった。娘は若く、未来があった。それを、あの一瞬が奪っていくなど……。
 娘のかわりに、私が死ねば良かったのだ。そうであるべきだったのだ。
 電車がやってきた。
 ぞろぞろと降りてくる人々はみな一様に顔面に疲労を張り付かせ死体のようだった。
 彼らと娘との間に、何の違いがあるだろう。外見的に娘は完璧に生きているのだ。真実など人の心の中でどのようにでも変化する。彼女が死んでいると知っているのは家族である、私、田部総治と妻の田部聖子だけであるのだから……。
 事故などなかった。何事もなく、娘の人生は続いていくだろう。
 私もまだ、娘の、多香子の声を聴いていられる……。
 車窓からは闇に沈む町が見える。
 それは死都だった。