小夜子の夢   六本木辰夫



 はたして彼女が本当は何者であったのか、それさえも今となっては皆目知る由もないのでございます。
 私と彼女とを繋ぐ直接の関係といえば、お電話をお嬢様へとお繋ぎする際に交わす簡素な問答ばかりで、受話器から告げられる「小夜子」という名前だけが、夢のように重みのない彼女を現にする重石のようなものでした。
 そのように輪郭の曖昧だった彼女が、いつからともなく実体を確かにし始めて、やがて現を纏って私たちの前に現れたのは、お嬢様が彼女と毎夜の怪しげなお電話を始めなさってからほんの瞬く間の出来事でした。
 対になるようにしてお嬢様が夢へと溶けてしまわれたのも、ほんの瞬く間のうちに起きた悲劇だったのです。
 小夜子とお嬢様とのご関係を、私は存じません。お二人がいつ、どこで知り合われたのか誰にも分からないのです。
小夜子はお電話の中でしきりに自身の暮らしぶりをお嬢様へと語って聞かせました。お嬢様はただそれを黙ってお聞きになり、ときどき熱をこめた羨望の相槌を挟みました。お二人の会話は、いつの夜もその繰り返しでした。
 語られる話は小夜子を色付けましたが、それでもそのガラス細工のように繊細な儚さが崩されなかったのは、彼女が決して私たちの前へ姿を現そうとしなかったからでしょう。
 一つだけ判然としているのは、小夜子からの最初のお電話は去年の秋頃だったということ。
 お電話を取り次ぐ私だからこそ知り得たことでした。そう、あれからたった半年と経たないのです。
受話器の向こうの小夜子はいつしか現となり、この家で受話器を手にしていたはずのお嬢様は、すでに名前まで失われてしまわれました。誰もがお嬢様をこう呼びます。
「小夜子」と。
 お嬢様を覚えているのも、もう私だけとなりました。その私ですら、昨日までは覚えていたはずのお嬢様のお名前を思い出すことができなくなっているのです。
 こうして小夜子は現となりました。
 ですが私は、私が私でいられる限り、永遠にお嬢様の夢をみるのです。
 小夜子が夢から醒めるまで、いつまでも。