連絡網   畑葵琴



『中学校の連絡網。今日の学校は、台風だから休みだって』
「分かった。連絡、ありがとう」
 石を投げつけているような音が、雨戸から聞こえてくる。田中雅利は、右手で受話器を耳に当て、左手でボールペンを使い連絡網の内容をメモに記す。
「にしても、ラッキーだよな。天気予報じゃ、逸れるコースだったのに、うまい具合に直撃になって」
『ああ、大ラッキーだよ。なにしろ今日の体育はマラソンだったからな』
 一志は体育、特にマラソンが大の苦手だ。前回の体育の時、次回はグラウンドを走るなんて言われた時には、目に見えるほど嫌な顔をしたのだ。もっとも一志ばかりでなく、男子の大半はブーイングを上げていたが。
「マラソンが、鬼ごっこになったらなー」
『それはそれで楽しいけれど、マラソンよりきついぞ』
「まあ、そうだな……」
 電話の向こう側の主が、しばらくの間無言となる。
『そうだ、来週の学活、やることないからあんたらでテキトーに決めておいてって、連絡網のついでに柿塚先生が言っていた』
 適当と言いながら、自分達が遊ぶ時間も含めているなんて、柿塚先生らしいと雅利は思った。
 今週の学活は今のところ予定はない。しばらくしたら雅利達は高校受験で忙しくなる。つまり、二度とこの学級で活動することが亡くなってしまうのだ。遊ぶのなら、今がチャンスだ。
「分かった。それじゃあ、そう伝えておくよ」
 電話を切り、雅利は冷蔵庫の方に向かう。雅利たちのクラスの連絡網が記されたプリントが、冷蔵庫に張り付けられているのだ。
 自分のフルネームと電話番号が書かれている欄を見た雅利は、手にしている電話のボタンを押していく。
 菅尚樹が小学生の妹から電話を受け取ったのは、布団の中だった。受け取ったと言っても、平和的に手渡しだったわけではない。二度寝を決めていた尚樹の腹に、電話を渡そうと妹の千尋の自称必殺技・ウルトラボディーブレスが決まり、現実に無理矢理引き戻されたのだ。
 高笑いする千尋を張り倒し、尚樹は転がっていた受話器を拾って耳に当てた。
『……何やっているんだ? もの凄い声が聞こえたんだけれど』
 不審な感じで訊いてくる相手は、やはり雅利だ。ちらりと足元を見ると、顔面を強打したのか、千尋が頭を抱えて悶絶している。
「すまん、ちょっと野暮用だ。それで、何だ? まあ、聞かなくても分かる。連絡網、だろ?」
 メールが主な通信手段である尚樹に電話する人は、自然と限られてくる。雅利から来る学校の連絡網か、アポイントメントの電話か、そのどちらかだ。
『そうだ。今日は休校だと』
「おしっ! サンキュー!」
 ガッツポーズを決めながら、尚樹は布団の上に座り込んだ。目の前では、千尋が頭を左右に振り、こちらを睨み上げている。
「馬鹿兄貴、いきなり張り倒すことないでしょ!」
「問答無用でボディープレスかましてきた奴に言われたくねーよ!」
「妹の身体を使った愛を、受け取りたくないの!」
 言うか言わないかのうちに、今度は腕を広げて突進してくる。避けようとするも、千尋は足を捌いて尚樹に倒れ込んできた。小さな部屋に、尚樹の悲鳴がこだまする。
「分かった、分かったから。今電話中だっつーの! ……ごめん、雅利。それでなんだって?」
『……でね。って、聞いている? なんかやけに騒がしいぞ』
「すまん、さっきから千尋が暴れて」
『チアキ?』
「妹だ」
 一瞬、大きく息を吐く音が聞こえてきた。
『そうか、びっくりした。俺はてっきり、藤原のことかと思ったぞ』
 藤原千秋は、雅利や尚樹達のクラスのアイドル的存在だ。テレビドラマほどではないが、勿論親衛隊なるファンクラブがいるほどだ。だから一緒にいるだけで、その連中から何をされるか分からない。
「当り前だ。それで、何だって?」
 あ、ああ、と前置きした雅利は、
『暇だから、外で何をしようか決めといて』
 すぐに切られたため、尚樹は呆然としたまま動かなくなった。その間に、尚樹の身体は千尋の身体の下敷きと化す。


 連絡網らしき電話が遠藤章子にかかってきたのは、宿題をしている最中だった。漢字の書き取りと数学の演習を終え、最難関の英単語の書き取りに取り掛かろうとしたところだった。
「はい、遠藤です。どちら様でしょうか?」
 一瞬、電話の向こう側で悲鳴が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。しばらくしたら、
『す、菅だ……!』
「あ、菅君? 何か用?」
『連絡網、今日は学校休みぎゃあああっ! だ、だから……』
「どした? なんか忙しそうじゃない」
 いつもはのんびりしている尚樹にしては、らしくもない動きだ。背もたれに体重を預け、証拠は聴覚に神経を集中させる。
『すまん……、少し刺激が強すぎることが……』
「刺激の強いこと?」
『雅、利が……、ちょっ……、ち、ちあき……!』
「千秋と雅利が、どうしたって?」
 お、おう……、と歯切れの悪い声で、尚樹が応答する。向こう側が妙に騒々しいが、それに負けぬ勢いで尚樹が喋る言葉は、
『暇な時の過ごし方を、教えてほしいって……』
 バランスを崩して後ろに倒れ込む章子の右手に遭ったペンが、宙に大きな弧を描く。


 板尾由紀が電話を受け取った時、兄妹と共にミュージック番組を見ている最中であった。ちょうど、お気に入りのミュージシャンが終わったところで、まっさらな気分で電話に出ることができた。
『連絡網です。今日は休校だから……』
 連絡内容をメモしようとして、振り返ったところで体が硬直した。さっきまでシャワーを浴びていた長兄が、腰にタオルを巻いただけの格好でテレビの前をウロウロしていたかららだ。証拠に固い声が届くのを自覚しつつ、
「分かったわ。って、そこ! 真っ裸でウロウロするな!」
『何? 素っ裸?』
 章子の声が、いつもより興奮を帯びている。それに、いつもなら余計な事は首を突っ込まないはずだ。一体、何が彼女をそこまで動揺させているだろうか。
「あー、気にしないで。こっちのことだから。それで、一体何があったの?」
『今、信じがたいことを聞いてしまった……』
テレビの音が大きいため、音量を下げようとリモコンを手にした由紀は、章子の低い声を耳にした。
『雅利と千秋が、今、外で密会しているらしい……!』
 口を縦に開けた由紀は、リモコンの音量調整ボタンを強く推した。ロックの音が極限まで大きくなり、山崎家を一瞬で支配する。

 
 電話が鳴った時、松本奈津は渇いた喉を潤そうとしていた。未開封の牛乳パックを開け、今から一気飲みをしようと傾けていた時になったものだから、危うくこぼしそうになった。イラッとした表情で、由紀は充電機からひったくる勢いで受話器を掴む。
「もしもし、まつも」
『あ、奈津! 連絡網よ! 今日の学校は休み!』
 自分の名前を名乗らず、用件だけ伝えてきたのは由紀だった。連絡網は自分で終わりだ。後は担任の柿塚先生に伝えればいいだけだ。だが、時折内容の確認のため、一番先頭である浜田一志に訊かなければならない。そんなに慌てているということは、相当急な要件だろう。奈津は連絡網用のチラシを見る。
「どうしたの、由紀。そんなに慌てて?」
『奈津、大変よ! ロックの最大でこだまが……!』
「落ち着いて、日本語がめちゃくちゃよ。一旦深呼吸して」
『あ、うん……』
 深呼吸をする由紀の気配が、受話器越しに伝わってくる。その間に牛乳を飲み干そうと、夏はパックを自分の方に大きく傾ける。いい? と前置きをした由紀が話し始めたのはその直後だった。
『今、ゼンラの田中君と千秋が外にいるらしいの!』
 奈津は、飲みかけていた牛乳を思い切り吹いた。
 

『雅利! 今どこで何してる!』
 電話に出るなり一志が喚いてきたから、雅利は親指三本ほど受話器から耳を離した。いつも落ち着いている一志と想像できない動揺っぷりに、雅利は眉間に皺を寄せて聞き出す。
「家でゲームの攻略真っ最中だけれど、どうした? そんなに慌てて」
『ゲームを攻略……! おまっ、それ、どんなゲームだ!』
「モ○ハンのシーズン五だけれど。何だよ、まるで恐ろしいものを見たような喋り方は」
 あ、わりぃ、と言う言葉を置いて、一志が深く息を吸う音が聞こえ、次の瞬間に一志が叫ぶ言葉は、
『今松本から聞いたんだけれど、暴風の中、お前が素っ裸の藤原さんをミルクで洗っているって、本当なのか!』
「………………は?」