コレクション・クエスト   冬月由貴



「ヤマイ? 誰?」
 俺のしかめ面に対し、日比谷小鳥は黙ってノートパソコンの画面を指さした。ディスプレイに表示されているのはそこにあるはずのない図書室の貸出記録。『山井汰漉』という名前は学年・クラス・出席番号とともに確かにそこにあり、彼の借りている本はボードレールの「悪の華」で、その貸出期限は一週間前に過ぎている。それは、わかった。だけど、
「で、山井って、誰?」
 さぁー? と首を傾げられても俺が困るのだ。しかも視線だけは俺から1ミリもぶれずに笑っている。つまりは、図書委員である俺に返却の催促をしろとのことなのだろうけど、今それを頼むのは間違っている。ここは図書室ではなく生物室で、昼休みは図書委員として働く俺も、放課後はパソコン部員として活動中の身なのだ。
「つかさくんは、図書委員」
 俺の名前を呼びながら詰め寄る小鳥に対し俺は『なにも関わりません』という意志を手早く示すために、首にかけていたヘッドフォンを頭に戻してウォークマンの電源を入れてうつ伏せになる。あれ、なんで音が聞こえてこないんだ?
「無視は、悲しい」
 顔を上げると小鳥の手に俺の大事なウォークマンがあり、その下にはネオンテトラの泳ぐ水槽。
「やめろ、落ち着け、はやまるな、な?」
 下手に刺激すればこいつは本当に落とす。今だって水面ギリギリだ。
「悪の華、読みたい」
 ぐいっと一歩詰め寄ってまっすぐに俺を見る小鳥の目。優しく笑っているようで、そこに込められている威圧感は猛禽類のそれと同じ。その鉤爪に絡め取られた哀れな獲物を見、小鳥を見、俺はため息を吐いた。
「わかったよ、催促してくるよ」

 満面に喜色を浮かべた彼女に見送られて廊下に出た俺をまず襲ったのは初夏の熱気。変温生物たちのためにクーラーをきかせていた生物室との温度差に一発でゲームオーバーになりかけて俺はよろめいた。
 だからイヤだったんだよ、まったく。俺みたいな貧弱もやし系男子は耐熱装備が不完全なのだから、急なステージ変更には対応できないのだ。
 山井クンが文化部だったら、校内で捕まえられるぶん難度は高くない。まずは情報収集パートか。
「あれっ? 樟葉?」
 階段を曲がったところで廊下の奥から声をかけられる。振り向くと、ジャージにTシャツ姿の友人、柚木蒼一郎が歩いてくる。近づいてくるにつれて柚木が汗だくで暑苦しいと気づいた俺は一歩分距離を広げた。これだから体育会系は!
「生物室の引き籠りが校舎にいるとは珍しいな」
 このクソ暑いのに外で走るドM陸上部の柚木様には俺の気持ちはわからないさ。ついでに言えば冬も暖房があるあの部屋から出ないつもりだぞ。
「山井クンとやらに用があって、な」
 まずは名前を出してみるのが常套手段だ。
「山井って俺のクラスの山井タスキ?」
 思わぬ情報持ちに喜んだものの、柚木がバカに驚いた顔をするものだからこっちも身構える。いったいどんなレアキャラなんだよ、山井汰漉。
「たぶんそう、かな? 部活は知ってるか?」
「たしか演劇部だけど、会えないぜ」
 柚木が神妙な顔で告げる。なにが? と俺が余程マヌケな顔をしたのか、柚木は少し笑いながら補足した。
「山井はここ十日間くらい休んでる」
 なんだと? じゃあ俺はいったいなんのためにわざわざこの暑い校舎に出てきたっていうんだ。せっかく文化系部活なのにいないだなんて冗談じゃない。
「お前、電話番号とか知らないか?」
「いや、知らないなぁ。あ、悪いけど、俺、部活の途中だから! またな!」
 そう言って柚木は走っていく。なんて役に立たないモブキャラなんだ! 不登校情報の提供を棚に上げてひとしきり罵った後、ため息を吐いた。
「難度が上がっちゃったなぁ……」
「なにが?」
 突如としてかけられた声に俺の心臓は飛び上がった。慌てて振り返った先にはこれまた友人の墨原朱鞠。ワイシャツ姿の彼も柚木と同様に汗をかいているのに、学年一の美形と噂高い墨原にかかればうっすら汗ばむ姿ですら美しいと思わせるのだから世の中は平等じゃない。
 しかし柚木といい墨原といい、なんで部活動の時間に校内をうろうろしているんだ? 突然のエンカウントは心臓に悪いんだぞ。
「墨原さ、山井タスキクンの連絡先知らない?」
「知ってるけど……なんの用だ?」
 ここで電話番号を知っているあたりが柚木とのキャラレベルの差だな。別に隠すことでもないから正直に言って協力を求めるとしよう。
「山井クンが本を延滞しててさ、その本を読みたがってる人がいるから催促したいんだけど」
 下手な説明にも関わらず墨原は事情を察知したようで、頷いて携帯のボタンを押し始めた。
「樟葉」
 1、2分経った頃、申し訳なさそうに墨原が告げる。
「出ない」
 召喚失敗。つまり、ゲームオーバー?
「一応メールは送っておくけど、あんまり期待はできないかな」
 それもそうだ。まともに返事を返せるくらいなら十日間も休まない。だけど、なにかしら色よい返事を持ち帰らなければウォークマンの命が危ない。難度がめちゃくちゃ高いじゃないか。これはもう、裏ワザを使うしかない。
「ありがとう、墨原。なんとか探ってみる」
 彼も部活の途中だったのだろう、そうか、と頷くと踵を返す。
「メール帰ってきたら連絡するからな」
 にっと笑った墨原ははっきり言ってかっこいい。そりゃ人気が出るに決まってるさ。サブキャラなのに主人公より人気が出るタイプにちがいない。
 墨原の背中を見送ってから俺はスマホをポケットから取り出した。裏ワザの発動だ。贅沢を言うならノートパソコン、せめてタブレットが欲しいけれど、両方とも生物室にあるから仕方ない。それに、必要なアイテムは全て入れてある。  まずは学校の本アドレスにメールを送りつける。送信完了から数秒後、あらかじめ添付しておいたたソフトからの自動返信が届き、そのアドレスまでの経由サーバーが明らかになる。そこに示された道筋を辿ってメールボックスに入り込み俺のメールは削除、メインサーバーへと進んで生徒の個人情報ファイルのセキュリティにパスワード解析ソフトをねじ込んだら侵入完了だ。
 こんなザルみたいなセキュリティじゃちょっと改造したソフト二つで入り放題、サーバーに保存された個人情報はガラス張りだ。ほうら見ろ、山井クンの住所と自宅の電話番号がメモ帳にコピペされてしまったぞ。
 まずは試しに自宅に発信してみたけれど誰も出ない。すぐ電話を諦めて住所を見ると、山井クンの自宅は五分も歩けば行けてしまう場所にあることがわかった。行けることには行ける。だけど、俺のライフゲージは往復分もあるだろうか?
 正直、本当にギリギリだと思う。クエスト達成率は五十パーセント。だけど失敗時のウォークマンの致死率は約七十パーセント。ちくしょう。
「行けばいいんだろばかやろー……」
 半分やけっぱちで下足ロッカーに上履きをたたき込んで、一歩外に踏み出した途端に太陽の暴力が俺を襲う。想像を超えて、暑い。ヒットポイントが汗となって全身から流れ出ていき、ゲージは早くも緑から黄色に変わっていた。
 だけどもう止まるわけにはいかない。引き返せば二度とこんな危険なルートは選ばないだろう。でもそれじゃこのクエストは成功しない!
 目もくらむような熱光線を浴びながらアスファルトをずんずん進む。目的の住所と思われる場所には赤い屋根の小さな一軒家。その表札には「山井」の文字。これだ。出でよ、山井タスキ!
 さっそくインターホンを鳴らしてみても誰も出ない。念のためにもボタンを押してみる。誰も、出ない。また召還失敗なのか?
「うちになにか用ですか」
 今日三回目の背後からのエンカウント。乱数補正でもかけられているのか? それともみんな俺を殺したいのか? 半ギレで振り向いた先にはジャージ姿の少年。その手に握られたビニール袋にはコーラのボトルが透けて見えた。 「タスキクンにちょっと用があってですね」
 質問に答えたっていうのにジャージ野郎はなにも言わずに首をひねっている。返事の一つくらいしたらどうだ。ただの屍じゃないんだったらさ。
「汰漉は俺だけど、君のことは知らない」
 お前が山井タスキか! ようやく今回のターゲットに会えたわけだな。
「あぁ、俺は君と同じ学校の図書委員でさ、君、本を借りっぱなしだろ? 借りたいって人いるから返してくれないか。手続きはしておくから」
 怪しげな俺の言葉に曖昧にうなずいた山井クンは家の中から本を取ってきてくれた。これであとは小鳥に届けるだけ、クリアは近いな。
「わざわざごめんな。飲んでいくか?」
 差し出されたコップにはシュワシュワと音をたてる黒い液体。なんて気が利くんだろう。俺は感謝の一言とともに一気にそれを飲み干す!
「げふっ……げふっ……!」
 愚かだった。炭酸飲料の一気飲みは危険だから決してやってはいけないよ。喉が大変なことになるからね!
 なんとかヒットポイントを回復した俺は生物室へ急ぐ。エンディングを目前にすれば、降り注ぐ熱射に曝されながらも足取りは軽い。
「悪の華、もらってきたよ!」
 生物室の扉を開くなり、小鳥の背中に向けて俺は叫ぶ。冷えた空気が体の熱を拡散させ、生まれ変わったような気分だ。エアコンは人類の生んだ最も偉大な発明の一つだよ、ほんと。
「うん、ありがとうつかさくん」
 くるり、とパソコン画面を背に振り返った小鳥は笑顔。待てよ、その顔、見覚えがあるぞ?
「これ、見て」
 示されるがまま覗き込んだ画面はまたしても貸出記録。三年の麻生陽祐サンが二週間に渡って「ドリアン・グレイの肖像」を延滞しているらしい。いや、待てよ、さすがにさ、勘弁してくれよ。
「つかさくんは、できる子」
 ぐいっと詰め寄る小鳥の目はどこまでも本気で、俺は抗いきれないことを悟った。まるで知らない相手とはまた難度が高い。自然とため息がこぼれるのは仕方のないことだろう?
 俺はスマホを手に取って学校へのハッキングを開始する。さぁ、クエスト・スタートだ。