君だけのヒーロー   青葉七実

「はぁ〜……」

 自分の部屋のベッドに横たわったまま、私は重い溜息をつく。さっきから無意味にいじくっているスマホの色んなアプリをつけては消しを繰り返し、時間だけがただただ過ぎ去っていた。夏仕様の制服の隣にかかった時計はもう二十三時を回っている。

 こうして貴重な時間を無駄にしているのは他でもない、喧嘩した友達にどうラインを送るか決めかねているからだ。喧嘩の理由はつまらない、何てことのない些細な事であったけれど、いつも一緒に下校する彼女は部活が終わるなり、怒った顔で帰ってしまった。

 早く謝った方がいいのは百も承知だけれど、しかし私だけが悪いわけじゃないのに先に謝るのも気に食わない。かといって、これ以上先延ばしにしても面倒になるだけだし、下手をすれば他の友人まで巻き込むことになる。いじめだの学級会だの、そんな事態はどうにかして避けたかった。

「あっちから謝ってくれたら楽なのに」

 思わずそんなことを呟いた。そういえば最近、ついてない。小テストの点数は悪いし部活のレギュラーは外されるし、先生には怒られるし……。

「なんか、いいことないかな……ん? なんじゃこりゃ」

 溜息まじりにスマホをいじっていると、うっかり広告でもタップしてしまったのか、いつの間にかアプリダウンロード画面に飛んでいた。そのままホームに戻ろうとしたのだが、表示されたアプリ名がふと目に留まる。

「『君だけのヒーロー』……?」

 今まで見たことも聞いたことも無いそのアプリは、『どんな時でもあなたをお助け!』という紹介文と、デフォルメされたヒーローっぽいちびキャラがポーズを決めているスクショが一枚きり、という情報しか無い。何とも言いにくい意味不明さだが、ラインを送るべきか未だ悩んでいる私は手持ちぶさたを理由にダウンロードボタンをタップする。まぁ、無料だし。つまらなかったらすぐ消せばいいし。

 ほどなくダウンロードが完了し、ホーム画面に新しいアイコンが表示される。先程のスクショにいた、ゆるい感じの絵柄のヒーローが描かれたそれをタップすると、画面に彼が現れた。

『初めまして! 俺は君だけのヒーローだよ! 困っていることがあったら、どんなことでも俺が解決してあげる!』

 絵柄のせいでいまいち決まっていない、決めポーズのヒーローのセリフに思わず苦笑する。なんだこのアプリは。気が抜ける絵とセリフ、そして音声入力を待つマイクアイコンの他には何も表示されていないけれど、こいつと会話を楽しむだけということだろうか。予想以上につまらなそうである。

 脱力感がどっと溜まり、私はアプリを終了させようとホームボタンに指を置く。しかしふと、一度試してみようかという思いが頭をよぎった。どうせ他に出来ることも無い、ちょうど『困っている』こともあるしナイスタイミングだ。無理矢理結論づけて、画面の中のヒーローに言ってみる。

「友達と仲直りしたいんだ。助けてよ、ヒーロー」

『オッケー! 俺は君だけのヒーロー、どんなことでも解決してあげる!』

 ヒーローのセリフが変わる。しかし何も起こらない。アプリ画面は脱力イラストが表示されたまま、セリフ以外の反応は見当たらなかった。

 ああくだらない、どうしてこんなものを一瞬でも信じかけてしまったのか。あまりのくだらなさに溜息も出なかった。内心毒づきながら今度こそアプリを切ろうと、そして消そうとしたのだが、その時だった。

『みき、今日はごめんね』

 画面上部に表示された、ラインの通知は喧嘩した友達の謝罪だった。え、と脱力感の吹き飛んだ身体をベッドから起こして画面を二度見する。慌ててラインを起動する間際に見たヒーローは、相変わらずゆるい感じでポーズを決めていた。

 

 それからの日々は、とても順調に過ぎていった。私だけのヒーローは、私の願いならばなんでも聞いてくれたのだ。

 部活のレギュラーになりたいと願ったら、レギュラーだった同級生が急に怪我をして部活をしばらく休むことになり、その代わりに、補欠だった私にレギュラーの座が回ってきた。塾のテストで高い順位を取りたいと願ったら、偶然にも勉強したところばかりが出題されて、成績によって分けられるクラスは二つも上がった。かっこいいなぁ、と思っていた男の子ともっと話してみたいなんて願ってみたら、向こうから話しかけてくれたり帰り道が一緒になったり、その上遊びにまで誘われてびっくりした。

 私だけのヒーローのおかげで、私は絶好調そのものだった。私の急な変化を訝しみ、疑いの目を向けてきたり、面白くなさそうな目をしてくる子たちもいたりしたけれど、それすら「みんなに自然に受け入れてもらいたい」と願うだけで解決してしまった。

 私は、全てが上手くいっていた。

 私だけのヒーローは、確かにどんな時でも私を助けてくれたのだ。

 

 そんな風にして、私はその日も楽しい気分で学校にいた。それまでの学校はいいことも嫌なこともそれなりにある、取り立てて面白いわけでもつまらないわけでもない場所だったけれど、ヒーローのおかげで全部に成功した今の私にとっては申し分のないほど素敵な場所であった。

 私は、ヒーローの最初の活躍によって仲直り出来た友達と一緒に廊下を歩いていた。昨日見たテレビのことだとか今月号の雑誌のことだとか、どうでもいい話で盛り上がっていたのだけど、不意に軽い衝撃を感じて私は足を止めた。

「……っあ、すみません」

「こら! どこ見て歩いてるんだ、廊下で騒ぐんじゃない!」

 ぼうっとしていたせいでぶつかった相手は、よりにもよって口うるさいことで有名な生徒指導だった。中学生にもなってそんなことでは駄目だとか、必要以上の文句を言われた私は説教に耐え終わった頃にはすっかり不機嫌になっていた。

「災難だったね」

「ホントだよ、あいつ階段からでも落ちちゃえばいいのに」

 慰めてくれた友達に返したその言葉は、ほんの軽い冗談のつもりだった。実際そんなことは日常茶飯事で、私も友達もみんなが言っているようなことだ。

 しかし、私は聞こえたのだ。アハハ言えてるー、という友達の声に混じる、あの、電子処理された音声を。

『オッケー! 俺は君だけのヒーロー、どんなことでも解決してあげる!』

「え? みき何か言った?」

「あ、いや! やば、携帯が勝手に……」

「おい大変だ! 山中先生が階段から落ちて――」

 知らないうちにボタンを押してしまったのかと、携帯の電源を消すため私は慌ててポケットを探る。しかしそれよりも先に聞こえた誰かの叫び声と続く騒動に、もはや携帯どころではなくなっていた。

 

 どうして、あんなことを言ってしまったのだろう。

家に帰ってから、私は部屋に一人籠っていた。部活に行く気も塾へ向かう気もどうしても起きなくて、携帯を握り締めて震えていた。

 とりあえず、このアプリは消してしまおう。このヒーローはきっと、本当にそう思っているかどうかの区別がつかないのだ。それ以前に、どういう仕組みで願いがかなえられるのかもわからない。これが危ないものだって、私はもっと早く気がつくべきだったのだ。

 一刻も早く消さなければ。そう思うものの、手が震えてしまって動かない。あの後すぐ、怖くなった私は携帯の電源を切ったのだけれど、電源を入れなければアプリは消せないのだ。だから早くスイッチを押さなければいけないのに、どうしようもないくらい怖くて、指を操ることすらまともに出来ない。

 何を怖がっているのだろう。なんて最低な奴なのかと思う。先生とか、レギュラーを外された友人とか、成績を抜かされた同級生。クラスの男子の気持ちまで変えてしまった。みんなに迷惑をたくさんかけているのに、自分ばかり怖がって。そんな資格なんてありはしないのに、早くしないとまた悪いことが起きてしまうとわかっているのに、自分勝手に震えて何も出来ないなんて。

 

 こんな最低な奴、いたって駄目なだけだ。

 そう、私なんて、消えてしまえばいいんだ。

 

『オッケー! 俺は君だけのヒーロー、どんなことでも解決してあげる!』

 

 電源を切っていたはずの携帯画面が明るく光り、見慣れたデフォルメイラストが表示されたのを見た私は、