灰が降る   添紋



「ということで、我がクラスの出し物は劇で、演目はシンデレラになりましたー」
 オクターブが普段より一つばかり低いような暗い声の調子で、文化祭実行委員の佐藤君はクラスの皆に告げた。それもその筈、第一志望の甘味処がフイになって、予備の案に移ってしまったのだ。
 我が高校には、一つの学年につき一クラスしか飲食系の出し物が出来ないという制約がある。これには公立高校故の調理設備のショボさや、予算的なものが色々と絡んできて、どうこう出来るものではない。文化祭実行委員会が定めた、絶対的で、揺るぎようのないルール。だからこそ、文化祭のメインともいえる飲食店を勝ち取る為、私達H組は「純和風」というコンセプトの下、練りに練った茶店の企画で勝負を挑んだ。だが、惜しくも涙を飲んだ。
 同じ文芸部に所属していて、且つプレゼンで勝利をものにしたA組の友人、菖蒲ちゃん曰く、「田中くん家って、ホテル経営してたりで、大金持ちでしょ、しかもそこのケーキセットなんかを安く卸してもらえることになってさー」だそうだ。ずるい。親の力に頼るなんて、そこのどこに自主自律という我が校の校風やら信念やらが含まれているのだろう。
 しかし、企画力で負けたことには変わりないし、一度決まったことはそう易々覆ったりはしない。諦めて、次点の企画に切り替えねばならないのだ。
 佐藤君は見かけによらず力強く荒々しい筆跡で、主役、脇役、裏方と必要最低限の配役を大まかに黒板に書き出し、取り敢えずの希望を募り始めている。
「よーよー、みどり。選り取り見取りの千歳みどり」
 前の席の小町ちゃんが、椅子の後ろ足だけで支えるようにしつつも左手を私の机にかけ、両脚をぷらぷらさせながら振り向く。変な言葉も交えて。
「どうやら、あたしらが脚本任されそうじゃね?」
「十中八九、そうなりますよねー、やだやだ」
 去年、小町ちゃんと私は別々のクラスだったが、お互いに出し物が劇に決まった上、両者とも脚本を担当させられた。それは単に、私達が文芸部だからに他ならない。体育祭の競技の一つである、中距離走なんていう罰ゲームさながらの種目を、「お前、陸上部だろ、専門じゃん」とか皆が口々に言って押しつけるのと同じである。それはあまりに不当に見えて、その実、適材適所な為に割と穏当な策で、自他共に文句が言い辛いものだったりするから、厄介だ。
「だからさー、今の内に内容考えとかない? このホームルームも、中々に長引きそうだしさ」
 シンデレラをまず誰にするかで一悶着起している周囲を横目にやりつつ、小町ちゃんは怜悧冷徹然とした様子を微塵も崩さずに、そう提案した。
「うーん、そうですね、建設的なご意見ですね。確かに今の内に考えておいても問題なさそうだし、いいんじゃないでしょーか」
 ゆるい感じで返答しながらも、いそいそと罫線の入ったルーズリーフをクリアファイルから取り出し、シャーペンを持って、消しゴムもベストポジションに。スタンバイ完了。「では、提案者の小町ちゃんからどうぞー」なんて、ふってみたりして。
「まぁ、ありきたりなシンデレラじゃ、やっぱつまんないよな。一捻り加えないと」
「といいますと?」
「いやだってさ、話の内容なんて誰もが知っているものなら、見せ所は必然演技力になってしまうけど、別段専門的に学んでるわけでもあるまいし、トーシロの演技なんて高が知れてるし底も知れてる、まして高校生だし。それなら、他の所で勝負すべきだ」
「……ご、ごもっとも。いやまあ、元より正攻法で挑むなんて無謀なこと、この高校の文化祭ではまずありえないんですけどね」
 立派な劇に仕上げられるほど、公立高校の予算は多くない。自然、衣装や舞台装置はチープな代物になる。それに練習時間だって限られていることを鑑みれば、普通の劇をしたところで面白くなる要素は皆無だ。どうしたって、搦め手が必要になってくる。
「うーんと、じゃあ、手始めに取り敢えずの意見を挙げてみます? ここは、つまらない、ここは活かしたい的な感じで、部分部分の改善を試みたり」
「いいね、それ。でも、自分から口火を切るからには、当然何か思う所があるんだよな?」
「ええ、一応」にやりと笑って、私は応える。
「よく聞く話で、別段私だけの感想ではないのでしょうけど、シンデレラの魔法が十二時で解けるなら、何故ガラスの靴は残ったままなのか、これってかなり疑問じゃありません?」
「有名な話だよね、それってさ。だけれど、大抵の本にはちゃんと書いてある。あたしも確かめたことあるし。――それでもワザワザ言い出すってことは、答は知ってるけど、納得はしてないって所か?」
「ええ、全く。カボチャの馬車や素敵な衣装諸々は魔法で変えられたものだけど、ガラスの靴だけは魔法遣いのおばあさんの私物、つまり本物って!」
 私は堰を切ったように捲し立てる。どこか芝居がかっているのが、我ながらなんとなく可笑しい。
「完全にオチを前提にしての辻褄合わせだよな、全然、綺麗じゃない。そういう気持ちはよく分かる」
 小町ちゃんが合意してくれたのは心強い。
「だから、そこはどうにか折り合いをつけていきたいってのが、譲れない私見ですね」
「ふーん、なら、こんなのどう? 逆に考えてさ、かけられた魔法の全てが、三年間解けないんだ」
「ぷっ。なんですか、それ」
「シンデレラのドレスもガラスの靴も、一向に魔法が解けないから、王子様は難なく彼女を見つけられるけど、その後が大変なんだ。ドレスが脱げないからお風呂にも入れないし、生理的な他のことも満足に出来ない。だから王子様は自らその魔法遣いを探しに行ったりして、彼女の為に出来る全ての手を尽くす。そうして愛の形を示すんだ。おお、なんてすばらしき純愛! みたいな」
「高齢化社会における日本の介護問題にまで微妙に警鐘を鳴らしてるっぽいのもいいですねっ!」
「そうだろうそうだろう」
 なんだかんだで二人ともノリノリ。
 そうそう忘れない内に、と右手を心なし速く動かして、今の内容を端的に、しかし乱暴に書き殴った。
 黒板に目をやると、シンデレラの文字の横には白藤さんの名が。可憐で儚げな美少女である彼女なら、うん、問題なさそう。しかして、今度は王子役で揉めに揉めている様子。分かり易いなあ。男子高校生は世界一馬鹿な生き物と称されたりもするけれど。
「他に思うのは、シンデレラがあまりに容易く助かってしまい過ぎだとか、清い心だからって、継母や義姉二人に恨みを抱くに違いないこととかですかね」
「後者はグリム童話に沿えば、割と解決している気がするな。靴のサイズに合わせて爪先や踵削ぎ落とそうとするし、魔法遣いはグリムに出てこないけど、その代わり的な鳩に眼を刳り貫かれたりしてさ」
「それはそうですけど、でも、復讐の鬼になったシンデレラってのも、面白そうじゃないですか。ヤンデレラって感じで、兎に角、継母や義姉に恥かかせたり傷めつけたりのオンパレードですよ!」
「いや、ここ学校だし、高校だし」
 小町ちゃんは軽く引いていた。小町ちゃんが引くことによって、自身に引いた。彼女が引くなんて、よっぽどのことだから。軽く自己嫌悪。
「ただ、あれだ、前者の容易く助かるってヤツ、あれ、どういうこと? イマイチよく分からない」
 狼狽した己を繕うように、話を戻す小町ちゃん。
「上手く言えませんけど、魔法遣いの魔法によってめでたしめでたしって、安易過ぎでは? 灰を被っていた少女が、何をせずともお姫様ですよ。実際の多くの人物は報われないで死んでいく訳で、醜いアヒルの仔は、本来醜いままであるべきでしょう?」
「分からないでもないけど、そんなこと言ったら、元も子もないような。……アヒルじゃねーけどさ」
「でも、納得いかないものはいかないんです。他人に叶えられた夢なんて、それはもうその人のものではないんです。。借りものですよ、仮初ですよ」
 ずっとぷらぷらさせていた脚を下ろしてから横向きに座り直し、小町ちゃんは少し考える風にした。
「ならいっそ、終わった所から始めればいい」
「はい?」
「その後で、王子様が悪の大王かなんかに捕まるんだ。大王は別にホモでも女王でもいいけど、取り敢えず捕まる。で、幸せを再び奪われたシンデレラは、幸せを、愛を取り戻す為に、王子様を救出しに茨の道を歩み出すっていう、逆を突いたストーリー展開」
「はい!?」
「そうすれば、さっきのごちゃごちゃした柵は全部無視出来る。それに、一度手に入れた幸せを失いたくないって気持ちは、多くの人が共感してくれる」
「た、確かに、一理ありますね。よくよく考えてみると結構面白い気がしなくもないし、いい感じです」
 せっせとメモ。文字で紙面の三割ほどが埋まる。
「文芸部の二人に脚本頼んでいい?」思いの外近くで委員の佐藤さんに尋ねられていた。クラスの皆が窓際のこの席を凝視している、全然気づかなかった。
「あ、えっと、はい、大丈夫です」と答える。「良かったー」と佐藤さんが言い、皆から承認の拍手。
 佐藤君が既に文化祭実行委員に立候補していた時、「じゃあ佐藤繋がりでー」と言って女子枠に立候補し、始業式早々飛ばしていた佐藤さんでもやはり後ろめたかったのだろう。申し訳なさそうな、しかしながら薄らと安堵が滲む表情で壇上に戻って行った。
 予想通り、こうなった。でも小町ちゃんもいるし、なんとかなる筈だ。頑張ろう。
 そう思った瞬間、ドアがガバーっと音を立てて開いた。担任教師の宮本先生が、教室に乗り込むなり、「A組が腸内菌検査に引っかかった。繰り上がりで、君達が飲食店のクラスだ!」シャウト気味に言う。
 飲食物を扱う以上、腸内菌検査は必須であり、夏休前みに飲食店が出せるか判断する為に一回、文化祭二週間前にダメ押しのもう一回が義務づけられている。その第一段階に引っかかったとなれば?
「うおー!!」
 暫しの沈黙を、瀑布のような轟音が押し退ける。クラスの皆が声を張り上げ、叫び、一つになった。
 そして、H組は茶店を出店することとなり、シンデレラ案は魔法が解けたかのように霧散した。無念。


「あのシンデレラ面白かったねー」
「真に迫る演技も良かったけど、やっぱ、話が良かったよ。王子様が魔王に洗脳されて、シンデレラを無下にあしらうシーンとか、グっときたわ」
 お団子と緑茶でまったりしているお客様の会話に聞き耳を立てる、デリカシーのない私。
 どうやらA組のシンデレラは好評を博しているようだ。前日の集客数もあるスジの情報によるとトップだったそうだし、今年の優勝候補筆頭との噂も。
 あの後A組は、我がクラスのような重々しい議論の末、出し物が劇に決まり、奇しくも演目はシンデレラ。そしてその脚本役を文芸部の菖蒲ちゃんに半ば押しつけることで、本気で締め切る五秒前、本部に無事書類を提出することが出来たのだとか。
 しかしながら、菖蒲ちゃんが「脚本書けないから助けて」と泣きついてきたので、私と小町ちゃんはあの時のネタを基に、彼女を含めた三人で脚本を書くことになった。姦しく話し合い、紆余曲折を経て、なんとか台本を仕上げた。その演目名は「辛デレら」。
 ――そう、魔法は解け切っていなかった。私と小町ちゃんのガラスの靴はちゃんと残っているのだ。