Distance of your making ――I Can , but you Can't.    水空 陽凪



 手紙というのは悪くない。それはとても日本人らしい言葉の伝え方だと私は思う。遠く離れた地にいようとも、紙に書かれた言葉というのはなかなかに味がある。言い回し一つにも執筆者ならではの呼吸があるようで、趣深い。そもそも平安の貴族から伝わってきた我が国らしい慣習だ。日本人というもののDNAに手紙に対するわびだのさびだのを感じるものがあるのだろう。
 電話というのも百歩譲ればありだろう。顔の見えない相手と言葉だけでやり取りするというのは、何故だか私は嫌な感がある。だが、人と動物を隔てるのは言語的コミュニケーションの有無が最も大きい要素の一つである。なら音声のみで意思を伝えるというのは、ともすればひどく人間的な行為なのかもしれな い。あくまで私、三枝葉瑠は好かないという表現に留めておくのが賢明か。
 ともかくも。直接会って話すに越したことはないが、色々な手段があってそれを否定するよりは認めた方が世の中は面白くなるだろう。
 だがしかし、だ。放課後になるのを待って電源を入れた携帯に届いていた一通のメール。改めて読み返した所で特に私の感想は変わらなかった。
「メールというのはどうなのだろうか?」
 私の言葉にはいくらかの呆れが混ざっていたかもしれない。珍しいこともあるものだ、と驚いた様子で部室の窓から外を眺めていた一条那由多が反応した。
「なんね、意外。あんたも気に入らんもんがあるんや」
「全く。那由多君には私が何に見えるんだい?」
「機械やな。面白いか面白んないかに敏感な」
 悪びれもせずに言い切る。そう言われても仕方のない私はそれを苦笑いで返す。確かに私は彼女と親しくなってから気に入る入らないという基準で物事をより分けたことがなかったから。
「んで、メールの何が気に入らんの?」
 気怠そうに窓枠に頬杖をつく那由多君。窓の外からは残暑にもめげない野球部の活気に溢れた声と水泳部がさせる水音。自分で望んで恋愛相談部を立ち上げたが、夏休み明け。この時期に私を頼ってくる人間はそう多いわけではなく。たまに喧騒が羨ましくもある。
 まあ那由多君がいてくれるだけ普段よりはましだが。
「別にメールが気に入らない訳じゃないんだ。ただメールに書く内容じゃないと思っただけで」
 私は携帯を閉じ――まだガラケーなんか使ってるん? という那由多君の言葉は無視して――部室の半分を占める長机の上を、彼女へ向けて滑らせた。
「そういうのはしっかり伝えなきゃいけない。私がそう思うだけだよ」
「……なんで、こんな奴に言い寄る男がいてるんかほんまに分からんわ。まあええ、てかなあ、別にこんなん拘ることでもないんやない? 最近やったら普通よ」
 携帯を開いた那由多君は少し怨めしげに呟いてから、そんな感想を口にした。
「普通かどうかは私の判断基準にはない」
「はいはい」
 知っとる知っとるよ、と投げやりな返事を返す那由多君。
「でも別に伝わればええんやない? あんたがそこまで目くじら立てる意味がウチには分からんよ」
 確かに。私自身、何故こんなに苛立たしげに 感じるのかが正確には分からない。
 私が別に好いた男がいるからか? 違う。確かに惚れた男はいるが、その如何で他人からの行為を疎ましく感じる訳はない。そも好意ならばどれだけもらっても腐るものではないのだ、この好意により不利益を被るのならまだしも、その蓋然性はあまりに低く――例えば彼を好いている女子に逆恨みをされ、痴情のもつれから刺されるとか――、それ故に私が否定の感情を抱いているとは考えにくい。
 では告白した相手が好きではないからか? 坊主憎ければ袈裟まで憎し。好かぬ相手からの好意というのはどんな形であれ嫌悪の対象に成り得るが、初鹿野暁。私は別に元クラスメイトの彼が嫌いではない。
 となるとやはり莫としたこの不快感はメールという媒体にかかっていることになる。
「那由多君。私達は周りの環境をどこまで、自分のものとして認識していいのだろうね?」
 だが、メールの何がどう気に食わないのかが分からない私は、まとまらない思考の解決を図るため那由多君に脈絡もなく語りかけた。
「は? 急になに言ってん?」
 案の定、那由多君はめんどうな様子を隠そうともせずに、しかし律儀に聞き返してくれる。だから、好きなのだ。私の話に一々反応してくれるのは他には母だけだ。
「例えばだ、耳掻きや爪きりを取るために伸ばす手。これは私のものかな」
「当たり前やん」
「では次に、取った爪きりで爪を切る、あるいは耳掻きで耳掃除をする。私の体に作用するこれらの道具は私の身体の一部として認識していいのかな?」
「あんた自分で言うてんやん、それは道具って。だから身体やない」
 馬鹿にするなといった様子で那由多君はこちらも即答した。
「じゃあ次だ。言葉はどうかな。私が喋って那由多君に作用する。これは?」
「あんたが言ったんやからあんたのもんやろ。言葉に責任持たんのは政治家と阪神だけで充分や。何が絶対優勝や、今期ドンケツのくせに」
 贔屓のチームの不調について手厳しいコメントを加えながら――スポーツの事は詳しくないので適当に、なら応援チームを変えたら良いあのオレンジ色のなんかは調子がいい、と言ったら、馬鹿葉瑠、と携帯を投げつけられた――、那由多君は答えた。うん、彼女と話しながら私自身の考えもしっかりとした形に成りはじめている。危なげなくキャッチした携帯を左手で胸ポケットにしまいながら、私は右手の人差し指をそっと唇にあてた。
「では最後の質問だ。言葉を文字におこす場合。これはどうかな。手紙の言葉とメールの言葉は私のものかな?」
「まどろっこしい質問やな。それとメールの文章のなんの違いがあるん?」
「いいから」
「ん、自分の言葉には変わらんと思うけどな。手紙でもメールでも」
 概ね予想通りに回答。だがやはり根本的な所で違う部分があると私は思う。
「手紙であれば、その文字は本人しか書けないだろう。だが電子メールは違う。ボタンを押しさえすれば誰にだって、打てる。これはその人しか出来ないものなのか。そんなコミュニケーションばかりをしていたらいつか私達は機械に取って変わられるのではないかな」
 那由多君はどんな反応を返してくれるのだろう、と期待を込めて私は自分の考えを彼女に伝えてみる。 「それは……どうなんやろ。確かにそういう意味やったら手紙のがいい気もすんけど。あと機械云々は考え過ぎや。未来から来た青狸ロボットみたいに人とロボットはきっと仲良うなる」
 那由多君は私の質問に初めて長考した。
「道具は便利なものだ。だが、人間が道具の代替であってはならないと思うんだ。人間が人間たる所以は道具の使用が大きいと言われているね。知っているかい? 道具を使うのは類人猿やニューカレドニアガラスのような一部の鳥類だけだ。そこから考えるに我々人類が発展してきた故は――」
「結論はなんや?」
 那由多君が強引に割り込む。ああ、悪い癖だ。嬉しくなるとついつい語りたくなってしまう。
「弱くなってしまったのかもしれないね」
「なにが?」
「言語能力とでもいうのかな。私達は電話やスマートフォンといった電子デバイスによって様々な恩恵を得ている気になっているのだけれど、その実様々な能力を同時に喪失してしまったのではと思うよ。初鹿野暁もその一人」
「なくしてしまったもの思うんもええけど、別に代替出来るならええんやない。あんたが良く言う適者生存ってやつには反してへんと思うけどな」
 そういう考えもあるのかと私は感心し、しかしと新たに出た湧いて出た疑問を口にする。
「いや、しかしだ。電子技術、その一切が何かが原因で損失してしまった場合、リスクがあまりに大きくなってしまう。リスクヘッジも考えた上で適者と語るのが、」
「話が逸れ始めてきた。てかな、」
 熱っぽく語る私を制し、那由多君がこれ見よがしに溜息を吐く。熱しすぎた。反省だ。
「うちにこんなくだらん質問付き合わせて得た答えがそれなん? なんでメールが不愉快かちゅう話やないんか?」
「生物的な能力欠如を恥もなく晒す相手に、つまり機械への能力依存なのだが、惹かれる牝は少ないのではないかな?」
「相変わらず、あんたは女やなくて牝の思考なんやな」
 当然だ。私は人間であると同時に動物であるのだから、本能に従うのは間違いだとは思わない。
「じゃあ、断るん」
「メールでなくとも断ったけどね」
 那由他君には悪いが端から答えは決まっているのだ。ただ不快の種類を知りたかっただけだ。
「せやろな。ああ、なんか疲れたわ」
 疲れたように言って那由他君は先刻同様窓に体をもたせかけ茜色に染まり始めた外を見る。
 しかし、だ。携帯を取り出し、三枝葉瑠様へという件名の初鹿野暁からのメールを読み返した。……こういった恋文にはどう返すのが適切なのだろうね。
「あんたの言うことも一理あるんやろうけどな。ウチはそこまで徹しきるんはムズいと思う」
 何を書くべきか、悩んでいた私の耳がそんな那由多君の声を拾った。
「確かにメールで告白なんて女々しいし、弱いんは駄目かもしれんけど、そんでも伝えたかった気持ちがあったんは察してあげて欲しいよ、ウチは」
 視線は校庭の隅にあるプールに落としたまま那由多君はそれだけ言うと、独り言、と最後に締めくくり黙ってしまう。
 いささか感傷的な、しかし彼女らしい言葉でもあった。心臓の持病のせいで満足に動き回ることも出来ない彼女は、メールに意志を代替する初鹿野君の弱さを己の欠陥と重ねているのだろう――この際初鹿野暁が、弱さを自認していたかは置いておこう――。
 出来る人間がいる。出来ない人間がいる。機械によりその弱さを補おうとしている人間がいる。出来ないことが人より多い那由多君の言葉は、期せずして私の有り様を戒めた。
「ああ、そうだね悪かった。誰にも得手不得手があり、そして私とて不完全だ。出来ない人間を貶める権利なんてどこにもなかった」
 那由多君は少しだけ私の方へ視線を向け、そして興味なさそうに、また視線を校庭へと戻した。
 別にそういうつもりで言ったんやないよ、とバツが悪そうな呟きが聞こえた。
「ふむ」
 私はゆっくりと携帯を閉じて、立ち上がった。彼が携帯のメールが良いというように、私も私らしい方法でやればいい。気付かせてくれた礼もかねて私は相応の方法で返答せねばなるまい。
「どしたん?」
 椅子を引く音に気付いた那由多君が首を回す
「いややはり私自身はメールというのが慣れないからね。自分の声でしっかりと伝えたい。少し行ってくるよ」 「どこに? そんメールの彼が今どこにいるんか知ってるんか?」
「いや。だから取り敢えず放送室に」
「やめたれや!」 
 その後、何故か今日一番激しい怒られ方をした。解せない。