あの世に繋がる公衆電話   青葉七実



 学校の門を出て、十分くらい歩いたところにある公衆電話。商店街やコンビニから少し離れたそこは人通りなんてほとんどなくて、犬の散歩の人や車が時々通るくらいだ。建物に囲まれているせいでいつでも薄暗く、一年中ひんやりしていることもあって不気味な場所だ。
 その公衆電話のことで、最近五年生の間で噂が広がっている。いつもはごく普通の公衆電話が、普通じゃない、恐ろしいものになるらしい。

 午後4時44分、電話番号は444ー444ー4444。
 あの世に繋がる、電話に変わる。

 勿論、こんな噂は誰も信じていなかった。ちょっと怖いけれども面白半分でしかなかったと思う。誰が最初に言い出したかわからない、根拠も何もない噂。本気で怖がる奴もいるにはいたけれど、ほとんどは聞き流すだけだった。
 しかし隣のクラスのナオヤが試して、死んだおじいちゃんにかかったと言い出してから噂は大きくなった。電話をかけた人に会いたがってる、あの世にいる人に電話が繋がるらしい。そしてこっちが声を出すと向こうに連れて行かれるのだという話も新たに生まれていた。そして僕と友達は、噂が本当かどうか気になって電話をかけてみることにしたのだ。
 放課後、四時四十分。公衆電話からちょっと離れた路地裏に集まったのは僕とマサキとユウタと、あの後マサキが新しく声をかけたジュンペイとダイスケだった。ダイスケは二組だけど、面白そうだとついてきたらしい。
「で、誰が行くんだよ? 俺は最初に行くのイヤだぞ」
 ランドセルを道路に置きながら、ジュンペイが電話ボックスをチラ見する。それには僕も、それからユウタやダイスケも同意だ。完全に信じているわけでは無いとはいえ、やっぱりちょっとは怖い。互いに目配せして、誰が最初に行くのかを言葉に出さずに探り合う。
「俺が行く。言い出したのは俺だしな」
 ランドセルを僕に預けたマサキが、腕まくり しながら勇敢にも言った。おお、と盛り上がる僕たちに手を振って、マサキは電話ボックスに入っていく。お前らはここで待ってろ、と言われた通りに、僕たちは塀に隠れて遠巻きに電話ボックスを見守った。
 透明なガラスの向こうで、緑色の電話を操作するマサキが見える。まあ何も起きないだろ、とジュンペイが耳打ち してきた。それに誰も返さなかったしジュンペイもそれ以上何も言わなかったのは、僕たちの中に少なからず、噂を信じる気持ちがあるからかもしれない。
 時計の針が四十四分を指す。マサキは、受話器を片手にじっと動かない。僕たちも四人で固まって、少しも動かずマサキを見ていた。少し荒くなった息づかいだけが聞こえる。
 そして、二分くらい経った後。マサキが電話ボックスの扉を開けて、中から出てきた。すかさずジュンペイが駆け寄る。
「マサキ! どうだったんだよ?」
 興奮気味のジュンペイの言葉に、マサキは答えなかった。ガラスの扉をゆるゆると閉めるマサキには、いつものような元気さが見あたらなかった。
「…………おじさんが、」
「は?」
 マサキらしからぬ、消え入りそうな声。尋ね返したジュンペイに、マサキは俯いて言った。
「去年、事故で親戚のおじさんが死んで……釣りとか連れてってくれたんだけど、その人が電話に出て、……馬鹿野郎、さっさと切れ、って怒鳴ってたんだ」
 それだけ言って、マサキはアスファルトに座り込んでしまった。ランドセルを返すことも出来ず、僕たちの中から言葉が消える。誰も何も言わない時間がしばらく過ぎて、やがてマサキが震える口を開いた。
「ナオヤの話、本当だった。新しい噂……声を出しちゃいけない、っていうのも、多分。あの電話……本物、だ」
 マサキが公衆電話を指さす。薄暗い通りにぽつんと立った電話ボックスは、そしらぬ風に影を落としていた。
 
 翌日、試したのはダイスケだった。何か少しでもおかしいことがあったらすぐに助けるから、と電話ボックスの周りに待機する僕たちに囲まれながら電話をかけたダイスケは、真っ白な顔をして中から出てきた。
「あれさ、そろばんの先生だ」
 去年の冬、そろばんをやめて勉強の塾に通いだしたダイスケがぽつりと言う。
「先生が死んじゃったから、そろばんの教室無くなったんだよ。一年の頃から通ってたのに、……勉強頑張ってるんだな、中学受験するんだろ、何も言わなくていい……頑張れよ、って」
 ダイスケが受話器を置いた緑色の電話は、ありふれた公衆電話にしか見えなかった。けれど、ガラスにもたれる様してへたりこんでしまったダイスケの言葉は、嘘だとは思えなかった。

「……コロだ。コロが、いたんだ」
 次の日、ユウタが電話をかけた。受話器を手から滑り落としたユウタは、僕たちが慌てて電話ボックスに飛び込んでも、呆然としたままだった。
「コロだよ。コロが、電話に出たんだ」
 うわごとのようにユウタが繰り返す名前は、ユウタの飼っていた犬のものだ。ユウタと僕は家が近いから、僕も何度も見たことがある。ユウタはコロが大好きで、よく散歩もしていたけれども確か、二年くらい前に死んでしまったと聞いた。
「いつも僕に甘える時の声で、くぅん、って聞こえたんだ。もう会えないって思ってたから嬉しくて、コロ、って言おうとしたんだけど」
 途端、電話の向こうの相手は激しく吠えたと言う。受話器を落としてしまったのは、それに驚いたかららしい。  あれはきっと、喋るなって僕に言ってくれたんだ。
 独り言みたいに、ユウタは呟いた。

 ユウタを電話ボックスから連れ出して家に送った後、残った僕たちは「これ以上電話をかけるのはやめよう」と話し合った。噂は嘘なんかじゃなかったのだ。あの公衆電話は、本当にあの世へと繋がっているのだ。
「俺さ、今の母ちゃんは本当の母ちゃんじゃないんだよ。本当の母ちゃんは、小一の時死んじゃったから……もし話せたら、俺、絶対何か言っちゃうわ。話したいけど、やめとく」
 僕とジュンペイはまだ電話をかけていなかったけれど、ジュンペイはそう言って帰っていった。僕も怖い思いをわざわざしたくなかったし、マサキやハヤトもやめたほうがいいと頷き合った。そして僕たちも、五年生の他の奴らも、電話ボックスに近づくことはなくなった。
 やがて一ヶ月、二ヶ月、そして冬休みを挟んで、みんな噂のことすら忘れたみたいだった。実際に電話をかけた人は忘れていることはないだろうけれど、あの公衆電話の話をする人はいなくなった。


 春休みに入って、僕は塾の講習を終えて帰っている。今日の小テストの結果が悪くて少し残されたから、友達は先に塾を出てしまった。まだ肌寒い外を一人で歩くのは、ちょっと寂しい。
 ふと、一つの箱が目に留まった。太陽の影になってぽつんと立っている、あの、公衆電話。
 やめた方がいいとは思ったけれど、よくよく考えたら、僕に会いたがっている人などいないはずだ。おじいちゃんもおばあちゃんもみんな元気だし、ペットだって飼ったことが無い。家族も友達も先生も、僕の周りで死んだ人は一人もいない。それに、万が一誰かにかかったとしても喋らなければ大丈夫だろう。
 ふらり、と足が電話ボックスに引き寄せられる。試すだけ、どうせどこにも繋がらない。そう自分に言い聞かせながら腕時計を見ると、四時半を回ったあたりだった。
 相変わらず薄暗い道には、やっぱり誰も通らない。カラスの鳴き声が遠くから聞こえる。冷たい風に吹かれながら、時計の針が八を過ぎるまで待った。
 思ったよりも重いガラス扉を開くと、がたがたと音がした。狭い個室に体を滑り込ませると、むわっとした嫌な空気が鼻や口から入ってきて、僕は咳こんでしまう。
 コインが電話の中に落ちる。受話器を持ち上げて、4のボタンをゆっくり連打する。
 十回目を押したその時、ちょうど、時計の針がかちりと動いた。
 コール音が一回。二回。三回。
 一人きりの電話ボックスに、乾いた電子音だけが響く。四回、五回……。誰かが出る気配は無さそうだ。
 やっぱり、会いたいと思っている人があの世にいない限り駄目なのだろう。誰も死んでいないのにかけたって、どうにもならないんだ。そう考えて、僕は受話器を置こうとため息をつく。まったく、十円無駄にした。

 その時だった。
 コール音が止まって、別の音が聞こえた。
 
 コポ、という音。
 水の中で何かを喋ったら、こんな感じかもしれない。


「……………………、」
「え? 何?」


 思わず聞き返した僕の、受話器を持っている方の腕が、誰かに引っ張られた。


「……もう、五年になるんだな」
 ごく普通の一軒家。リビングにある棚に置かれた花と、赤ちゃん用のぬいぐるみに手を合わせる父親が呟く。隣で同じようにしていた母親も、「そうね」と頷いた。
 彼らには子供が一人、来月から小学校最高学年となる息子がいる。が、本当はもう一人、彼の弟もいるはずだったのだ。
 五年前の今日、母親のお腹で死んでしまった、子供が。
「そろそろ、ヒロシにも話そうと思うの。あなたには弟がいるのよ、って」
「ああ……あいつも、もう大きいもんな。なかなか実感は難しいだろうけど、それでも、な」
「ええ。そろそろ帰ってくるはずなんだけど……遅いわね、塾に連絡してみようかしら」
 夫婦はそう、首を傾げて顔を見合わせた。